反響が続々と寄せられた。
長男からは「お好み焼きおいしゅーうございました」、二男からは「ハンバーグ過去一美味しかったです。おこわも」とのメッセージが届いた。
これで家内は報われる。
息子たちに手作りの料理をたっぷり送って、喜ばれた。
寒い日が続くが、息子の心は温まったであろうし家内の心も同様。
母子のコミュニケーションは息子たちがお腹に宿ったときから始まった。
家内はしきりにお腹の奥へと話しかけ、生まれ出た後は話しかけるだけではなく一緒に体操教室に通いプールに入り、あちこち連れて回って彼らの遊びや虫捕りや星空観察に付き合って、フットサルやラグビーや塾への送迎を行い弁当を作り、試合があれば声援を飛ばし、受験に際しては一意専心そのマネジメントに注力し、合格発表のときには一緒にとろけた。
そしていま離れて暮らすが月に一度は東京を訪れ一緒に食事し、思い立っては手作り料理を頻繁に送ってと形を少しずつ変えながら、コミュニケーションはその濃さを増し続けている。
息子たちのメッセージについて家内から報告を受けたとき、わたしは仕事を終えて明石の居酒屋で一杯やり始めたところだった。
月曜、火曜とジム活をこなしノンアルで過ごした。
遠方で帰りが遅くなるのであれば女房に楽をしてもらうのも夫の務め。
それで夕飯を済ませてから帰ろうと明石駅前の「道場」に立ち寄ったのだった。
明石であるから刺身が美味しく、カキがでかくて食べごたえがあった。
そして明石であるから二軒目は玉子焼の店を選んだ。
玉子焼とたこ焼を食べ、同じものを女房の土産として携えた。
「明石で電車に乗ってこれから帰る」
そう家内にメッセージを送ってわたしは車中の人となった。
窓際においた土産の袋からよき玉子焼のかおりが漂って、だからだろう、車窓の向こうに見える冬の夜の景色がなんともほんわかとしたものに感じられた。
芦屋駅で新快速を降り普通電車に乗り換えるつもりだったが、うっかりわたしは乗り過ごしてしまった。
見る間に芦屋が遠ざかり、新快速は次々と駅を跨ぎ越していった。
わたしはそのぶっ飛びの速さに驚いて、これに「お客様が接触」することへの恐怖を覚えた。
尼崎に至ってようやくわたしは新快速を降りることができた。
「いま、尼崎、もうすぐ帰る」
そう家内にメッセージを送ると、「?」の一字が返ってきた。
帰宅して、かくかくしかじか。
玉子焼を食べながら「?」を巡ってのわたしと家内のコミュニケーションが始まろうとしていた。