朝方は冷え込んだが日中になってぐんぐん気温が上がった。
着実に春が近づいている。
そんな春を感じさせる陽気に身をひたし8km走った。
これで準備万端。
食事前の腹ごなしとして十分であった。
ジムを終えた家内と合流し向かうは北野坂木下。
開店してまだ3年と日は浅いがたちまち人気を博し2年先まで予約のとれないイタリアンの名店である。
家から三宮まで30分もかからない。
まもなくわたしたちは9席あるカウンターの中央に腰掛けた。
いい店だと出だしから素晴らしい。
一気に魅了され、贅を尽くした食材と、それら素材を絶妙な味わいへと昇華させるその美技に感嘆し通しとなって、感動が最後まで膨らみ続けた。
最初の白ワインのお代わりも含めわたしはペアリングで10杯飲み、家内は9杯飲んだ。
それらワインの味も格別で、わたしたちは食事する幸福に芯からひたった。
やはり木下さんは天才でいつ訪れてもその仕事ぶりは完璧だった。
完璧ですねと絶賛しても「いや、まだまだですよ」と答える謙虚さも含め、まったく非の打ち所がなかった。
料理というのは奥が深く、その出力には多様な能力が要求される。
そうつくづく感じた。
食材の調達と吟味選択においては情報収集力と探究心が必要で、それらを時間をかけて仕込んで組み合わせるプロセスには根気と高みを目指す不屈のチャレンジ精神が欠かせず、料理を盛り付け供する際には美的センスとサービス精神、言い換えれば良き心根も求められる。
要するに、総合的な頭の良さと実践的な体力とハートが不可欠と言え、だから一流の料理人は天才と呼ぶにふさわしい。
帰途、感動の余韻にひたりながら家内とそんな話をし、自ずとわたしは女房のことも絶賛することになった。
いつもおいしいご飯を作ってくれてありがとう。
心からそう思った。
そしてこの感動を息子たちにも伝えることになる。
彼らは母の手料理によって頑丈に育った。
その上、母の影響によってちょっとした料理なら難なくこなせる能力も身についた。
だから将来めとる伴侶についても「料理」という視点が疎かにできないだろう。
全く料理のできない人であれば、推して知るべし。
一方、料理のできる人であれば幅広く応用も利いてその行動力にも期待できる。
つまりいろいろ助けになるであろうから、これはもう絶対に手放せないという話になる。