ヨガ仲間との交流を通じ、カレーの味が格段に増した。
これは思ってもみない副産物だった。
スパイスについて詳しくなり、そうなると実践せずにはいられない家内であるからネパールや南インドで用いられる本格的なスパイスが家で使われるようになった。
そしてそれだけでなく、仲間各自が時間をかけて体得したカレー作りの秘技が共有され、そのおかげで家内は面倒な試行錯誤のプロセスをスキップすることができた。
結果、プロのカレー屋も顔負け。
うちのカレーが大進化を遂げることになった。
もちろんプロのうどん屋をも凌駕する。
家内が作るカレーうどんは市井のそれを寄せ付けない。
スパイス由来の出汁はそこらの出汁とは素性が異なり、鶏肉や牛肉など投入される素材にしても「何もカレーにせずとも」といったレベルの品が動員され、麺だっていかりスーパーに置いてあるような一級品であるから、どの一点を捉えても、市井の出し物では及ばないということになる。
だからもし家内が飲食の店を開けばすごいことになるだろう。
カレーだけでなく中華であろうがイタリアンであろうが韓国料理であろうが、何でもござれ。
レパートリーは幅広く、加えてすべて健康面まで考慮され、もちろん味もいいから、必ず人気を博することになる。
ただ、少しばかり値は張るだろう。
しかし、これについてはやむを得ない。
求道者は妥協を寄せ付けず、妥協を許せばやる気も失せる。
妥協して得られるものよりも、やる気の方がはるかに大事で、その価値の分、高くなっても仕方がない。
この日、家内はヨガ仲間と夕飯をともにした。
精神性というのだろうか、どの方も見識が高く意識も高い。
その自然派志向に触れ、それが良い影響となってうちの家族にも益がある。
家内の人間関係の充実を思いつつ、わたしはひとり買ってきた焼鳥を食べビールを飲んで過ごしていたのであったが、そこに家内が帰宅し、いいあんこうがあるといってたちまちのうち野菜たっぷりのあんこう鍋をこしらえてくれた。
店で食べればいくらするのだろう。
そんなことを思いつつ鍋をつつき、ワインを開けて家内と飲んだ。
幸いわたしは食後に会計を求められることはない。
そして気付いた。
そもそも家内がお金のために料理を作るなど考えがたい。
料理を熱心に作る理由はシンプルで、ただただ家族のため。
このプライスレスに宿る価値こそ途方もない。
そう実感した。