たっぷり泳いでプールから上がるとガラス越しに家内の姿が目に入った。
マシンと格闘する家内に手を振ると、向こうも気づいてこちらに笑顔が返ってきた。
ジムスペースで合流し、開口一番、家内が言った。
いいカラダになっているから、水着姿がかっこよかった。
そう言われると気分がいい。
もっとよくなるよういつもより割増でわたしは筋トレに励んだ。
泳いで筋トレすると不要物がすべて体外に押し出されたように感じられ、とても心地よく腹が減る。
だから毎回家に戻ってすぐ食事となるのであるが、家内を見ていつも感心させられる。
普通ならジムを終えたあと、あまり動きたくないだろう。
しかし、家内はすぐ動く。
この日も同様。
帰るなり家内は牡蠣の殻をとって蒸し始め、肉も同時に焼き始めた。
つられてわたしは皿を並べ、塩やわざびやタバスコなど調味料を準備したが、わたしの用事はすぐ終わり、家内の動きをただ眺めるだけとなった。
それでふと、この日息子と交わした会話のことを思い出した。
先日息子は同じ会社の同期となるメンバーで沖縄を旅行し、今度は西大和男子らと北海道に行く。
そんな行程についての話に混ぜて、息子がわたしに聞いてきた。
なぜ父さんは母さんと結婚しようと思ったのか。
そんな質問が出たということは、彼もまたそろそろ結婚について真面目に考え始めているということだろう。
それでわたしは真剣に理由を答えた。
料理作りについて話す雰囲気がとてもよかったから。
実際わたしはそう感じその瞬間に結婚しようと決めたのだったが、しかし、電話の向こう、息子の頭に浮かぶ「?」マークが目に見えるようだった。
それで説明を付け足した。
結婚した後、坪谷さんというとてもよく当たるという占い師にみてもらったことがあった。
母さんについて聞くと、坪谷さんはぴしゃりと言った。
この人は、「善の人」です。
なるほど、プロの言葉遣いの的確さは並ではない。
わたしはそれで合点がいった。
「善の人」という観点でみれば、すべてに筋が通って、家内の人となりが明瞭に理解できた。
わたしはそれを直感的に察知したということであり、坪谷さんがそう言ってはじめて、理由を言葉にできたといっていい。
世の中には自分のことで頭がいっぱいという人がいる。
その一方、人によくすることが喜び、といった人もいる。
なかなか簡単には見つからないが、伴侶にするなら後者がいいに決まっているだろう。
それで息子もわたしの説明に納得できたようだった。
実際、彼はその善の恩恵を世界で最も受けているうちの一人である。
「善の人」との言葉の意味が理解できて当然だろう。
そんなやりとりを一人振り返りながら、わたしはノンアルビールをグラスに注ぎ、家内のために白ワインを開けた。
この白ワイン、「キュヴェ・ド・フィエ・グリ・ヴィエイユ・ヴィーニュ」という銘柄で、家内がいたく気に入っているから、わたしが飲まない日であっても気づけば買い置くようにしている品である。
テーブルで向かい合い、肉を食べ、牡蠣を食べたが、わたしとしてはまだもの足りない。
そう言うと、家内はさっと立ち上がり、先日食べたカニの出汁で雑炊を作ってくれた。
ぐつぐつと煮える小鍋から、わたしは食べる分だけ器に雑炊を取り分けた。
そのとき、はるか昔の思い出が記憶の淵から一気に眼前へと浮上した。
むかし、むかし。
夜にお腹が空くと母が夜食を作ってくれた。
メニューはだいたい決まっていてたいていは鍋焼きうどんだった。
下町の、今は誰も住まない小さな家の食卓にあたたかな湯気が立ちのぼる。
そこには母がいて、母は優しくいつも当たり前のように栄養たっぷりな夜食を作ってくれた。
夜食の味は、あたたかな家庭の味そのもの。
だから、この夜の雑炊はことのほかおいしく感じられた。
飲まずに済ませた日はいつもならさっさと自室に引き上げ読書などに勤しむ。
が、このとき胸に生じた気持ちがとても大事なものに思えたから、白ワインを飲む家内に、わたしはみかんを食べて付き合って、二人で一緒にドラマなどみて夜を過ごした。