自分だけおいしいものを食べて済ませる家内ではなかった。
月曜の朝一番、家内はパルヤマトに向けクルマを走らせた。
と、植木の世話をする「なかじい」の姿を道端に見つけた。
いったん通り過ぎてからバックして戻り、家内はクルマを降りて「なかじい」に話しかけた。
あれは長男が小3の頃だった。
誰に頼まれるでもなく道端に立ち、「なかじい」が登下校する地元の子どもたちを見守り始めた。
そんな「なかじい」にやんちゃな長男が話しかけるのは時間の問題だった。
コンビニの店員はもとより、工事現場の警備員にも声をかけ、近所の私立小学校の校長先生にも話しかけて交流する長男であるから、「なかじい」を放っておくはずがなかった。
そしてそのおじさんの名を中島と知って「なかじい」と名付け浸透させたのは他ならぬ長男の仕業だった。
ちなみに「なかじい」の顔は冬になると赤くなる。
それで季節限定、冬になると「なかじい」は「あかじい」と呼ばれたが、それももちろん長男が言い出してそうなったのだった。
息子に少しでもよくしてくれた人はすべて恩人。
家内はそう考えるから、息子らがよく通った駄菓子屋のおばさんにも挨拶をするし、見かければ「なかじい」にも声をかける。
この日も同様、クルマを降りて家内は「なかじい」に声をかけ、なぜかふと思いついてiPhoneを向けた。
「なかじい」を見れば、息子は懐かしがるに違いない。
それで許可を得て、「なかじい」を撮影しながら話すものだから、会話はちょっとしたインタビューみたいな様相を呈した。
家内が質問を向ける。
今と昔、子どもたちの様子はどうですか。
「なかじい」は言った。
いまの子どもたちは皆おとなしい。
あのカマキリ少年のような子は見当たらない。
カマキリ少年というのはうちの長男のことであった。
あらゆる昆虫をハンティングの対象にする長男であったが、カマキリについては採るだけでなく繁殖もさせ、一時期、うちの裏庭をカマキリ王国へと変貌させた。
もちろん登下校の際にもカマキリを捕まえていたはずで、だから長男がそう呼ばれてもなんら不思議なことではなかった。
家内は「なかじい」にカマキリ少年の近況を伝えた。
このたび慶應を卒業し、4月から東京の商社で働くことになる。
「なかじい」はやんちゃなちびっ子の面影を思い浮かべたのか遠い目となった。
そして、ほんの少しだけ「なかじい」自身のことを語った。
昔、兄貴におまえは好きなところへ行って、好きなことをして生きろと言われた。
でも結局、西宮に残ってずっとここで暮らしてこの歳になってしまった。
そして「なかじい」は言った。
いろいろと楽しみですね。
家内はいま撮影したばかりの動画をかつてのカマキリ少年へとラインで送り、クルマに乗って予定どおり食材をどっさり買い込み大量に料理し東京に発送し、この日、車検があったから尼崎のレクサスへとクルマを持ち込み、そこであてがわれた代車の乗り心地が最高だったから、わざわざ大阪まで代車を駆ってわたしを迎えに来てくれた。
それでわたしは帰りの道中、「なかじい」の動画の一部始終を助手席に座って視聴することになったのだった。
カマキリ少年は次なるターゲットに向かってすでに走り始めている。
「なかじい」が言ったとおり。
ほんとうにいろいろと楽しみなことである。