木曜日はジムが休みなので家内とともに家でイタリア戦を観ることにした。
帰途、十一屋で家内が気に入っている白ワインを2本買い、併せてわたしの食前酒としてサッポロ赤ラベルの瓶ビールを買った。
帰ると料理が整っていた。
結構な見栄えであったから驚いた。
今夜の野球観戦に備え、久々に芦屋のビッグビーンズで食材を調達したのだと家内は言った。
そういえば、きゅうりが380円もすると言って昼に写メが届いていた。
今週は月火水と飲まずに過ごした。
別段みずからに禁酒を強いる訳ではなく、その方が調子がいいから自然とそんな過ごし方になる。
このところ痛感している。
わたしはこれまで自分のカラダのコンディションについて無頓着すぎた。
一日をジムで締め括り、飲まずに過ごすとぐっすり眠れ、カラダの調子がほんとうによくなる。
喜びすら覚えるような快調さであるから、癖になるのも致し方ない。
そしてそういったコンディションだけでなく、仕事の捗り具合や自分自身の姿形、血液検査で得られる良好な数値など、様々なアウトプットがより一層喜びを大きくするから、それらが今度はインプットとなって好循環が続くということになる。
だからこの生活様式はひとつのループとしてわたしの暮らしのなかで定着をみたと断定してもいいだろう。
しかし、その一方、そもそもが飲兵衛であることも否定できない。
だから、たとえばこういった木曜日など、理由があるときはまあループを外れてもいいのではないだろうか。
それでこの夜は食卓で女房とワインを注ぎ合って、野球に見入った。
ところがこの野球、途中からだんだん大味な試合となったので、結局夫婦の会話は野球から遠く離れて日常を巡るものとなった。
そしてわたしたちにとって日常と言えばジムであり、いつもなら今ごろは腹筋しているのではとわたしがいい、いやいまの時間ならサウナを出て水風呂につかっているのではと家内が言うものだから、想いはますますジムに向き、明日のフライデーナイトはジムで過ごそうと意気投合することになるのだった。