KORANIKATARU

子らに語る時々日記

選択肢が未来に光を灯す

奈良での業務を終えた。

さてこのあとどうしようか。

 

満開の桜が古都を彩っている。

せっかくだからとぶらり歩いて花見した。

ではこのあとは。

 

午後も後半に差し掛かり、急ぎの用事はなにもなかった。

わたしは真っ直ぐ家へと帰ることにした。

 

リビングに上がるとちょうど夕飯の支度が整っていた。

 

木曜はジムが休みなのでスパークリングを開け、家内と食卓を囲んだ。

家内が味付けした八尾産の若ごぼうがほんのり甘くて実においしい。

 

日が長くなり、外はまだ明るい。

その明るさが心地よい酔いに沁み入って、新たな門出の春との実感が込み上がる。

 

これからいろいろと忙しくなる。

春夏秋とすでに楽しい予定が盛りだくさんで、そんな楽しみが日常をくっきり明るく照らすから、暗夜行路を進むのと大違い、昨年同様、瞬く間に時が過ぎていくことだろう。

 

家内の周辺にも、春らしいニュースが多数寄せられていた。

 

夫が赴任先からこっちに戻ってくるといった話や昇格や昇進といった話など。

そんなめでたい転機の後景に陣取って、満開の桜がよりいっそう美しく映える。

 

が、幸多いという訳ではない話も幾つか混ざった。

 

その昔、家を買った途端に遠方へと異動になった人がいた。

その後十数年、あちこち遠方を渡り歩く単身赴任生活を余儀なくされた。

そして、この春もまた別の遠方へと異動になった。

 

定年になる頃には子どもの手が離れる。

だからそれまで頑張ろう。

夫婦でそう励まし合っているのだという。

 

別のある人は五十を過ぎた直後のこの春、子会社へと転籍を命じられた。

歳が歳であるから片道の道行きで、親会社で携わってきた業務内容とは似ても似つかず、ステータスも収入も天地以上に差が開く。

 

従容と会社の意向を受け入れたとのことであったが、これまで自身を支えてきた自尊心は大きく損なわれたのではないだろうか。

しかし子育て続行中の身であるから、入り用な時期がまだまだ続き、自尊心といった青い話の出る幕はなく、まずは食いつなぐといった話の方が先に来るのだろう。

 

スパークリングを互いのグラスに注ぎ、家内の話を我が身に置き換えて考えた。

 

遠方に赴き、わたしのなか家族が不在となる。

これはわたしにとって人生の核を根こそぎ奪われるも同然のことだろう。

 

そして、一つ所で働いてこの歳になって、誰か他人に値踏みされ誰か他人の胸三寸で自分の未来がか細いものへと格下げ、要はリストラされるのだとしたらなんと切ない。

これはわたしにとって失語を招くような、未来の喪失といっても過言ではないだろう。

 

他に選択肢なく不在と失語の世界を生きるなど、とてもではないが耐え難い。

 

自営業者になって二十余年。

一寸先は闇であったが、やがて目が慣れ、その闇のなかありありとした希望の光を感じることができるようになった。

 

右でも左でも。

どちらに進もうがどうにでもなる。

選択肢に溢れた世界こそ、ヒトが生きるにふさわしい。

そのように思える。

2023年3月30日朝 豚肉の野菜炒めと台湾パイン

2023年3月30日昼 奈良花芝町 toi印食店

2023年3月30日午後 奈良公園周辺

2023年3月30日夜 若ごぼう,チキン,カレー風味のスパイシーいわし