連休の谷間となった月曜と火曜は、電車が空いていて一方繁華街は混み合い、どことなく休日の雰囲気が漂っていた。
その両日ともバカのひとつ覚えのようにわたしたちはジムへと通った。
特に火曜はよりいっそう休日風情が強まって、夕刻のジムはガラ空きだった。
胸を鍛えるわたしの向こう側で家内がバイクを漕ぎ、その様子が視界に入った。
目にするともなく見て時々目が合って、家内のエネルギー量の巨大さが具体的に視覚化されたように感じた。
言うなれば嵐のような女子。
この日も朝はヨガへと出かけ、その後で家の各所に敷くマットなど買い揃え、事務所に顔を出し、家で植木の世話もして、そして夕刻はジム。
この活動量は凄まじく、敵に回せば恐ろしい。
実際、敵とみなされれば身に及ぶその念だけでも侮れず、世に運の尽きという言葉があるが、まさにろくでもないことになる。
どのようなメカニズムが作用しているのか定かではない。
しかし、不思議なことにこれはほんとうのことなのである。
わたしたちは味方側にあって幸い。
いわば台風の目のなかに置かれているようなものであり、その巨大パワーの庇護のもと平穏な日々を過ごすことができている。
台風の目のなかにいるわたしたち。
ジムでの一場面で思いがけず、わたしはこの家庭の実像を明瞭にイメージすることができたのだった。
運動を終え帰宅して、早速家内が夕飯の支度に取り掛かり食卓で向き合った。
わたしはノンアルで家内はバロークス。
そしてこの一場面でも同様。
普段、感じることのない不思議な気持ちに捉えられた。
なんだか分からないような不思議な力に導かれてこの縁に巡り会い、わたしは女房と一緒にこの人生を生きている。
そんな結びつきが奇跡であると感じられ、だからいつにも増して、夕飯を食べつつこの幸せを深く噛みしめることになった。