慌ただしい時間の流れが、猊鼻渓にて一変した。
深い青をたたえる水面には波一つない。
目線の先にその水面を見ながら、百メートル超の絶壁に挟まれた渓谷のなかを、ゆっくりと運ばれた。
絶壁を覆う新緑が燦々と光り輝く。
5月の陽光が光合成には最適なのだろう。
生い茂る葉が総力をあげ緑の光を増幅させて、人の眼もまた緑を感度よくキャッチするから、目に眩しいといったことになる。
おそらく緑は人にとって特別な色なのだろう。
だから心身にまで沁み入ってくる。
ここが生きる場所。
緑がそう告げ、わたしたちは緑に励まされる。
さあもっと生きよう。
そんな意欲が強く静かに引き出されていくかのように感じられる。
船頭さんが朗々と歌う。
断崖絶壁が天然の音響装置となって、信じられないくらいにその歌声がよく通る。
ふと前に目をやると、おばあさんが目に涙を浮かべていた。
このような場所で力強い地声に触れれば、感極まるのも自然なことと思えた。
猊鼻渓をこの目にしたなら、厳美渓も見逃す訳にはいかない。
続いてわたしたちはクルマを厳美渓へと走らせた。
時刻は午後4時。
クルマで半時間ほどの距離だから、日没までには十分間に合う。
この時刻であっても厳美渓は観光客で賑わっていた。
人の流れに合わせ、わたしたちは急ぎ足で見どころ地点を各所回った。
上流の流れには勢いがあった。
しぶきがあがり夕刻の冷気を一層心地いいものにしていた。
一方、下流は静まり返って、その静謐に心まで静かになった。
そのコントラストをひっくるめて絶景。
足を運んでこそ分かる。
つまりこれこそまさに百聞は一見に如かずという話であった。
厳美渓から仙台まで距離にして百キロ。
夕飯の予約が6時半だったので、ゆっくりはしていられなかった。
来てよかったねと夫婦で頷き合いながら、わたしたちは急ぎ仙台へとクルマを走らせた。