もはや季節は夏へと移行した。
が、まだ序盤に過ぎないから朝夕は涼しい。
その涼しい時間を逃さず、わたしは家の掃除にかかった。
ルンバを各部屋に走らせ、その間、玄関から各部屋へと至る導線を磨き上げ、最後は端や隅に居残るホコリをマキタの掃除機にて吸い上げた。
洗った布団を日に干して完了。
わたしは続いて武庫川へとランニングに出たが、すでに時刻は午前9時。
もはや暑いと感じられる気温になっていた。
それでも通常通りに走り終え、あとはジムにでも行き憩いの時間を過ごすはずが、急な用事が入ってわたしは事務所へと赴かねばならなくなった。
やはり谷六は富裕層が暮らす街だった。
休日をくつろぐ格好が一様にみなおしゃれで、スウェットやジャージが標準となる下町とは一線を画していた。
早く休日に再合流するべく急ぎ用事を済ませ、ようやく自由の身となった。
時刻は午後1時。
さてなにをしようか。
日差しが強く、日なたに身を置き続ければカラダに障る。
だから、陽気の日曜、屋内で飲んで過ごすのがいいだろう。
そしてここらで、匿名の人物として気ままに飲むなら天王寺をおいて他にない。
電車を降りまずはステーションビルへと足を運んだが、どの店も飲み客の順番待ちで列ができていた。
何も並んでまで飲むことはないと場所を変え、ルシアスまで足を延ばすと酒場の席にちらほらと空きが見られた。
天王寺というよりもはや阿倍野。
そこで適当な店へと入って、この日は牛豚鶏と人が常食とする肉を焼いて食べ比べてみた。
甲乙丙つけがたし。
どれもみなおいしいのだった。
冷麺でしめ、さて何をしようかと思ったとき、女房が海苔巻きなどを買ってきてというから、桃谷へと電車で向かい御幸森方面へとぶらり歩いた。
懐かしいから少し遠回りをし、母とちょくちょく一緒に食事した店の前を通ってみた。
子どもの頃から食べ慣れた餃子の点心軒はまだ健在で盛況だったが、あきら寿司は閉店となっていた。
もちろん暖簾はなく看板も取り外され、そこに半世紀も続いた寿司屋があったなど窺い知る痕跡は何も残っていなかった。
なにかそこに虚無を見たようで、実に寂しい思いに捉えられた。
御幸森は人であふれ賑わっていたが、わたしはなんとも寂しいままで、家内の喜びそうな品をさっさと買って商店街にある神社で手を合わせ帰途の電車に乗るため鶴橋へと向かった。
で、いり船寿司の前を通りかかり、海苔巻きより寿司の方が家内は喜ぶに違いないと思い立ち、引き戸をひいて板前さんに持ち帰りを頼んだ。
特上といったメニューはないと女将さんは言うが、板前さんが気を利かせてくれ女房のため特別に特上を握ってくれた。
家内が喜ぶと思うと、わたしも嬉しい。
寿司の包みを写真に撮って家内に送り、大阪駅で乗り換える際にもまた、「カミングスーン」との言葉を添えてまた寿司の写メを送った。
胸にひんやり残存していた寂しいとの思いは、いつしかすっかり姿を消していた。