週の出だしの月曜日、家族のうちもっとも早く始動したのは長男だった。
朝7時、いま出社したとのメッセージを見て、わたしたちも動き出した。
家内は息子に送る料理を作りはじめ、わたしは事務所へと電車で向かった。
このあと家内はクルマで出かけてパル・ヤマト西宮店で肉を調達し、それから野田阪神へと足を伸ばし、そこで川繁のうなぎ、鳥清にて鶏皮ポン酢と焼鳥などを買い求め、家に帰ってベランダで肉を焼き、家庭料理の仕上げにかかった。
わたしはデスクワークに勤しんで、昼に上司とゴルフ道具を買いに行くといった情報を長男から受けゴルフクラブのセットなどについてネットサーフィンした他は仕事に専念し、夕刻前に帰宅した。
まもなくヤマト運輸の発送センターから家内が戻り、玄関にて合流しジムへとクルマを走らせた。
いつもどおり運動し、急に降り出した雨のなか家に戻った。
月曜だからと夫婦そろってノンアルで過ごし、家内の作った、残り物とは言え豪華な料理をつまんだ。
そしてこの日、いちばん最後に任務を終えたのも長男だった。
夜9時過ぎ、これから帰社するとの長男のメッセージをみて、わたしは二男に電話をかけた。
二男は風呂につかっている最中だった。
最近どない?
そんな他愛のない話をし、わたしはお酒も入っていないのに昔話をし始めた。
二男が幼稚園児の頃であるから時は十五年ほどさかのぼる。
朝、幼稚園へと送っていくのはわたしの役目で手を繋いでいろいろおしゃべりしながら登園した。
プール教室の送り迎えもわたしの役割だった。
どうせわたしも泳ぐからついでであったが、二男を助手席に乗せ、いろいろと話して片道20分ほどの道を行って帰った。
もちろん夜、長男も含めて寝るのも一緒。
怖い話をすると川の字の間隔は狭くなり、面白い話をすると川の字が腹を抱えて巛の字になった。
なんて平和で幸せな時間だったのだろう。
そんな話をして、わたしは言った。
そしていまも同じ。
離れてはいても、わたしはずっとそばにいる。
なのに近頃会話が途切れたように感じてしまう。
はいはい、と二男は笑って言うが、その声は昔よりははるかに低くて太いものだった。