快適な空の旅を終え、こどもの日の正午、関空に降り立った。
スムーズに到着ロビーへと至り、さあ、食事しようとフードコートを目指した。
フードコートは人でごった返していた。
ざっと全体を見渡し、まもなく食べ終えるのではという母娘のテーブルを家内が目ざとく見つけた。
中国人風の青年もそこに目をつけていた。
先んじてわたしは母娘のテーブル横に「すみません、ゆっくり食べてください」と言いつつ、キャリーケースを横付けした。
これでなんとか席を確保できた。
受験であれ何であれ、これまで家族で数々の密集戦を制してきた。
わたしたちはこうした争奪戦にめっぽう強い。
席に張り付きながら、夫婦で代わる代わる注文に出た。
家内は焼きそばと明石焼き、わたしはかむくらのラーメン大盛りを選んだ。
着席したところでわたしが冷え冷えのビールを席へと運び、軽くジョッキを合わせて乾杯した。
持ち寄った焼きそばなど二人で分け合い、つくづく思った。
なんておいしいのだろう。
日本の美味が深部に沁み渡って、わなわなと震えるような思いでわたしたちは自分たちが何者なのか思い知らされることになった。
どこか遠くへと赴いたところで、結局わたしたちは強く焦がれてここに引き寄せられる他ないのだった。
特急はるかに乗って帰途につき、無事、家に到着してすぐすべての窓を開け放った。
機内で寝なかった分、ぐっすりと長く眠った。
やはり家が最高で、自分の寝床にまさる場所はないのだった。
家の四方から吹き込む五月新緑の地元の空気にたっぷりと浸ったからだろう。
目覚めたとき、スペインにいたということにリアリティが感じられず、夢か何かのようにしか思えなかった。
結局、次の振替休日までのんびりだらだらと家で弛緩して過ごし、GWでネタが入らないのだろうか、近所の寿司屋が休みだったから、JR尼崎近くによさそうな寿司屋を見つけ予約を入れた。
まさしく夢にまでみた寿司にようやくありつけるのだった。
この店が大当たりで、鱧の焼霜など特に絶品だった。
今後わたしたちはこの店の常連になる、そう確信した。
このように2024年のGWが幕を閉じ、いつもどおり仕事三昧の日常が息を吹き返したのであったが、そこに悲しみは一切なく深い喜びが伴った。