駅を降りるとちょうどわたしの真ん前を家内が歩いていた。
その後ろ姿を眺めながら、同じ道筋を通って家へと向かった。
月一回の鮨たけ屋の日、待ち合わせ時間ぴったりにわたしたちは家で合流した。
すぐに支度し、わたしがハンドルを握った。
いつもならタクシーを使うが、飲まないとこういうときに貢献できる。
助手席に座った途端、家内の二万語がはじまった。
友だちたちと奈良で薬膳を食べてきたのだという。
それぞれの年齢を考えればむべなるかな、カラダの不調が話題の中心といった中、家内は元気さで際立っていた。
この先の人生、家内は何をやって過ごすべきか。
そんな話になって、 いちばん元気な者に思いを託すみたいに皆が親身になっていろいろと助言してくれた。
このところわたしは自分に残された25年について考えている。
家内は家内で別様に、同じテーマに直面したのだった。
美味しい寿司を味わいつつ、わたしはこの先の25年について抱負を語り、そして家内の今後について思うところを述べた。
いつか懐かしく思い出すことになるだろう。
あの日あの時あの場所で。
わたしたちは残された人生について語り合ったのだった。
ビジネスをはじめるのも悪くない。
でも、いらぬストレスを抱え込むことになるかもしれず、そうなるとなんのこっちゃ分からない。
たとえば、過去を振り返りやり残したことからはじめるのはどうだろう。
それで家内のなかに眠る留学への思いが勢いよく浮上した。
「女は勉強などしなくていい、さっさと結婚すればいい」
そんな方針の家庭でなかったら、若き家内は遠く海外へと羽ばたいて、とんでもない傑物となっていたに違いない。
何事も遅すぎるということはなく、そういう意味で短いようで人生は結構長い。
叶わなかった夢のすべてを息子たちが実現してくれるにせよ、踊らにゃ損損。
十代の頃へと舞い戻り、あのときの憧れをまた追いかけるのが一番いい。
そんな結論に至っての人生最終盤。
もっとも若々しい季節をわたしたち夫婦は迎えることになるのであるが、この二人が二人ともいつかいなくなるということが信じがたい。