仕事を終えた帰途、ラーメン屋に寄った。
今日も一日頑張った。
ラーメンくらいいいではないか。
自分へのご褒美である。
真っ先にビールを頼む隣のおじさんも仕事を終えての夕飯だろう。
一昔前ならわたしもビールが真っ先だったと昔日を懐かしんだ。
いつか悪縁を断ち切ろう。
はるか昔からそんな心理は潜在していたのだと思う。
子どもがそれぞれ生まれたときや独立したときなどわたしは自身に禁酒を課した。
自らに覚醒を促すための決断だった。
が、それぞれ半年ほどで飲む機会が巡ってきて、ビールは再び「真っ先」の座へと返り咲くことになった。
直近では母が救急車で運ばれたときに禁酒を決めた。
一種の願掛けの意味もあったのだと思う。
母が他界し半年ほど経過して再び飲む機会が訪れた。
が以前と異なり、飲酒を再開してもビールは真っ先ではなくなった。
なんならお酒の出番がなくても過ごせ、飲まない日と飲む日が並び立つという風になった。
で、そんな秩序がすっかり根付いたと思った矢先のこと、今年1月5日をきっかけに目も回るような忙しさになって、じわじわ飲む方へと重心が移っていった。
それで大局的な目でそんな不可避な流れを振り返り、お酒のことより何より、もはやわたしに大局などなく余生は限られているのだとの絶対的な真実に気がついた。
こんなことはしてられない。
痛切に、文字通り痛みを覚えるほど切実にそう思って、だから今後一切お酒を断つと心に決めたのだった。
気を許して懐へと入り込ませる寛容がこれまでのイタチごっこを招いていた。
そしてもう「イタチごっこ」に費やすいとまはない。
ピシャリ扉を閉じて寄せ付けない。
そう一貫させてももはや失われた一回こっきりの時間たちを取り戻すことは叶わない。
替え玉を頼んでわたしはビールに一瞥もくれない。
もう二度と飲むことはないだろう。