だいたいの観光名所は過去にまわり終えていた。
だから今回、特に見たいものがある訳ではなかった。
無目的のままぶらりとバスにでも乗って、その流れのなかで行き先を考えよう。
家内には珍しく行き当たりばったりで動くことになった。
朝食を済ませ身支度を整えた。
互い荷物はウエストポーチのみといったいたって身軽な格好でいったん部屋を出てすぐに引き返した。
ロンドンのガイドブックとUVカット用のカーディンガンを持っていくと家内が言うので、わたしはリュックを使うことにした。
ガイドと家内のカーディンガンをリュックに入れ、ついでにわたしはウエストポーチも投入し荷物をすっきり一つにまとめた。
バスに乗るにしてもルートによって景観が異なる。
調べるとルート15がいいらしい。
それでトラファルガー広場で始発を待って、2階席最前列に陣取った。
通りを見下ろせて、観光の仕方として悪くない。
出だしこそこんなぶらり行脚もなかなかいいではないかと思ったが、バスのなかはムシムシとして徐々に不快さが増していった。
ロンドンタワーに差し掛かったとき、乗客のほぼすべてが降りはじめた。
このまま乗ろうか降りようか一瞬迷い、どのみち行き当たりばったり、外の風に吹かれようとわたしたちもそこでバスを降りた。
今回の旅はエディンバラでのミリタリー・タトゥーが主目的だった。
無事に見終えることができ、あとはおまけの時間のようなものだった。
解放感にひたって、わたしたちは風に吹かれそこらを散策した。
歩きながらわたしは家内の写真をたくさん撮った。
ロンドンブリッジを眼前にする場所まで歩き、そこでお茶休憩にしようとカフェに入った。
並んで座り観光ガイドをみてノッティングヒルへ行こうと目的地を定め、ガイドをわたしはリュックに仕舞った。
地下鉄を使おうとタワー・ヒル駅へと向かって歩き始めた。
他愛のないことを夫婦で話し、引き続き涼風が心地よく、わたしたちは旅の喜びをひしと感じていた。
改札をとおるとき、わたしはiPhoneをかざし、しかし家内はうまくいかずしばし戸惑う瞬間があった。
通りかかりの誰か親切な人が手助けしてくれ、無事、家内は改札を通過することができた。
改札越しに行方を見守っていたわたしは彼に礼を述べた。
駅に掲示してある路線図を二人で眺めて行き先を確認し、サークルラインのホームへと降りた。
さあ、これから自由な一日、楽しい一日がはじまる。
家内が言った。
「ガイドを見せて」
わたしはカラダを反転させてリュックを家内の側に向けた。
やたらと落ち着いた声音で家内は言った。
「リュックのチャックが開いてる」
その瞬間ヒヤリとしたが、てっきりわたしはそれを冗談だと思った。