前日同様、ジムでのトレーニング前に部屋のテラスで入念にストレッチを行った。
家内の指導に従い、あちこちの筋肉を伸ばしていった。
負荷をかけ筋肉を縮めるより、こうして伸ばす方がはるかに大事。
家内を指導してくれるトレーナーはいつもそう言うらしい。
素直に家内の言葉に従って各所の筋肉をゆっくり伸ばし、ぼんやり外の景色に目をやった。
普段眼前に迫る現実が次第に遠のいて、そこの常連とも言える登場人物らの影が薄くなっていった。
決まり切った日常を過ごすうちいつしか姿勢が固定化されて筋肉が固まって、意識もまた凝り固まっていく。
その場所だけがすべてとなって、真面目な性格であれば自らに課すルールも自ずと厳格なものとなって呼吸は浅く重苦しさが増していく。
しかし、なにも日頃身を置く場所が唯一の世界なのではない。
世界は無数にあって、そのどこにでも身を置くことができる。
旅すれば目にする場面が増大し、凝り固まった日常が相対化されていく。
換言するなら視野が高次化されていくと言っていいだろう。
先日、カラダをほぐしてくれた施術者が言っていた。
このごろは施術のプロセスのなかに「肩甲骨はがし」を入れるのが一般化した。
意識についても「剥がし」のニーズは高いに違いない。
日常をべろっと「剥がす」には旅が格好で、それで心が解き放たれて、より一層のびのびと生きることができるようになる。
数あるうちの一場面。
旅で心身がほぐれれば、いい意味で現実がどうでもよくなって、とてもカジュアルな感じで日常に戻っていける。