帰宅すると家内はジムに出かけて留守だった。
キッチンを見ると料理が作り置いてあった。
食べていいのかどうか。
念のため確認の連絡を入れるが繋がらない。
サウナにでも入っているのだろう。
ジムでゆっくり過ごすため、食事を用意してから出かけた。
そう解釈するのが自然なことだった。
が、勝手に手を出すと大目玉を食らう。
もちろん外へと食べに行けばこれは大目玉では済まない。
このあとすぐ業務にかかる必要があった。
これはわたしの夕飯として作り置いてくれたもの。
そう結論を出しわたしは迷いの時間をさっさと切り上げた。
腹ごしらえを済ませ自室で書類作業をしていると、家内の帰ってくる音が聞こえた。
わたしは身構えた。
鼓動が早くなって視野が狭まり明度が落ちた。
そして呼吸も浅くなった。
そう、わたしの本体は分かっていたのだった。
案の定、家内の声がきつく響いた。
家内には家内の段取りがあり、わたしはそれを無断で乱してしまったのだった。
この代償は高くつく。
これでしばらく我が家は冬の時代へと突入することになるのだろう。
このように家庭の暮らしは四季を巡って、春が再来するかはどうかは時の運ということになる。
自室から許してと謝るが言葉はなんて無力なのだろう。
打ち手は限られ口を慎み防御あるのみで相手の感情につられそうになっても絶対に乗ってはならない。
感情にジャックされると方位磁針が狂ったみたいに思考が支離滅裂になっていく。
人は冷静に自問自答し分析的に考察を重ね問題解決を図ってきた。
人類のサバイバルはその思考スタイル抜きには語れない。
早晩、感情過多な反応は淘汰されていくのだろう。
つまり感情をモロ出しにしていては進化のプロセスからの退場を余儀なくされる。
相手の感情をかわし自らの感情には蓋をする。
わたしはそう腹を決めた。
これで冬を越す準備は整った。