出口は24番だったか25番だったか。
番号は隣り合っているが24番出口と25番出口は駅のホームの真反対に位置している。
迷った末、確かこっちの方向だったとの感覚を頼りに25番出口を上がって、結果、自身の方向音痴ぶりを再認識させられた。
しかし、そのおかげであった。
正しい方向へと進み直し、見かけたのが思温病院の往診車両だった。
そして、ちょうどタイミングよく。
ビルから出てきたのが狭間研至氏で、なんという偶然、わたしたちは路上で鉢合わせしたのだった。
言わずもがな彼は33期のエースの一人である。
もしわたしが24番出口から出ていたらエースに出会うという偶然は起こり得なかった。
人の世を織り成す「綾」は実在し、このように時折、姿を見せる。
振り返れば今わたしがこうしてあるのも彼のおかげといって大げさではない。
遡ること十数年も昔のこと。
相談事があってわたしは平野の薬局に狭間研至氏を訪ねた。
家内とまだおしめの取れていない二男を伴っての訪問だった。
思い返せば、懐かしい色合いで当時のことが蘇る。
やはり生きているだけで丸儲けと言えるのだろう。
時が折り重なって生じるそれら思い出の色合いは、年々その美しさを増していくのだった。
そこを起点にいろいろと始まり今に至った。
本町の道端で偶然出くわし、じゃあと別れ、狭間くんは思温病院のクルマに乗り込み、わたしは顧問先へと向かった。
顧問先は大阪星光の37期が院長をつとめるクリニックで、聞けば今年の大忘年会は37期が幹事とのことだった。
誘われたが、都合がつかない。
このところ33期とすらなかなか会えない。
が、星の光は潰えない。
またいつか。
一緒に遊ぼう。
風邪気味だったので業務をさっさと片付け早めに帰宅した。
家でくつろぎ二男とズームで話し、精悍な青年の顔に幼い頃の面影が重なったのは、わたしが25番出口を選んだからこそのことであった。
寝床に入ると今度は長男から電話がかかってきた。
大阪出張で明日からこっちに来るという。
忙しい業務の間隙を縫って飯でも食おう。
ひとしきり話して電話を切って、わたしは息子たちとの会話の余韻にしみじみひたった。
かつて孤独だった青年は、息子二人を授かっていまやまったく孤独とは無縁で暮らしているのだった。
窓の外をみると空一面が星の光に溢れていた。
そうそう星の光は潰えない。
そんななか木星がひときわ明るく輝いて、その真下に冬の大三角がくっきりと視認できた。
この絵柄で言えば、木星が女房でそれにかしずく3つの星がわたしたち男子3人ということになる。
今後この手の三角を空に見るたび、わたしは真っ先に息子たちのことを思い浮かべることになるだろう。