KORANIKATARU

子らに語る時々日記

阪神タイガース

甲子園口駅から甲子園球場まで、甲子園筋をまっすぐ南へ下って、徒歩なら30分から40分くらいか。
甲子園筋は両側4車線の並木道で中高層住居専用地域である番町街を左右見渡し甲子園球場まで続く。
住居地域を貫く一本隣の小曽根線とは、用途地域の違いで街路のおもむきが全く異なる。

甲子園球場に至る門前の通りは、阪神間屈指の美観を誇る。

遠く静かに響き渡る声援の音量が、一歩進むごとに、高まっていく。
まだ明るい宵の内、街を彩る風物詩の一つである。
賑々しさが増して行く。甲子園球場に到達すれば、そこはもう祭典の場だ。
鎮座する円形の建造物は、まさに神殿である。

神殿の通路を上っていくと、土と芝生のグランドが視界いっぱいに現れる。
ライトアップされたグランドは、ゾクゾクするほど美しい。
浜風が土と芝生の香を増幅させる。
タイガースの選手は、そこで戯れ闘う、我々の神々だ。

俯瞰すれば、甲子園球場は、阪神間の山手と下町が、親潮黒潮が交わるようにぶつかる潮目に位置する。
絶妙の立地である。幅広い層が支持する基盤がそこにある。
阪神ファンに貴賎なしという精神的風土がそこから醸されるのであった。

聖地で直接神々を目にした者は、宗旨替えなどできるはずがない。
生涯の信仰は不変となり、代々受け継がれることとなる。
信者は通称トラキチと呼ばれる。
トラキチらが、「大阪の神」を略し、阪神と呼ぶようになった。

「異教徒」が、虎をネコちゃん程度にしか考えていなくても、トラキチにとっては、いつか本気を出す勇猛果敢な神獣である。
トラキチは、どれだけ負けが込んでも、見限ることがない。神の御心は、神のみぞ知るのである。
神が稀にもたらす勝利の祝祭を、辛抱強く待ち続ける。

トラキチは、常に負けから入り負けが続き、それでもめげず諦めず、しかる後のしかるべき展開を希望持って耐え忍ぶ。
敗北に安住することは決してない。声高に勝利を求め、大真面目に神々の奮起を促す。

トラキチの負けへの耐性は、並々ならぬものである。
常人なら、負けが込めば、敗北意識にまみれ、後ろ向きとなり、次の一歩が踏み出せず自滅していく。
トラキチは違う。
どこまでも果てしなく続く敗北の連鎖の中であっても、常に明るく前向き、どんな状況からでも勝利の快進撃が始まるのだと信じて疑わない門徒の集団なのだ。

トラキチであることで培われ育まれるもの、それをこそ、強さという。
阪神タイガースは、勝ち負けという次元を超えたところにある、本質的な強さを涵養するような宗教的とも言える機能をまさしく果たしているのだ。
阪神タイガースこそ、信仰に値する奇跡のチームなのである。