KORANIKATARU

子らに語る時々日記

脱「箱入息子」

星光33期同窓会の翌日早朝、芦屋ラグビー合宿場の兎和野高原へ向った。
お盆合宿の最終日である。
遠くから見かけた子らは元気そうであった。
何とか3日間のハードな練習を乗り切り、更に男を上げたようである。

西宮は暮らし良い反面、逆の見方をすれば子にとって何の危険もなくチャラチャラ甘ったれて過ごせるような環境にある。
親が意識的にならなければ、子らはアホでふざけた「箱入息子」になりかねない。
周囲の助けがなければ何もできず、はしご外されればたちまち人生の落後者となるのが「箱入息子」の常である。
そんな取り返しのつかない事態は回避せねばならない。

たまたま縁があって通わせている芦屋ラグビーであったが、「箱入息子」への道を脱する上で大きな役割を果たしてくれている。

本気で練習・指導する過程での「教育機能」は、最大限の評価に値する。
楽しもう、のびのびやろう、頑張ることが第一なんだ、といった抽象極まる子供じみた戦後民主主義的理想論が語られる場ではない。
具体的な場面場面でのやりとりの中、摩擦、葛藤、相剋といった苦々しい心情生む厳しい指導に晒される。

芦屋ラグビーの練習風景に触れるたび、私は決まって早大理工の恩師を思い出す。
学生の前に仁王立ち立ちはだかり、中途半端な研究姿勢は罵声をもってズタズタに蹴散らし、学生は自らの能力の最大値を常に引き出さんと必死にならざるを得ず、研究経過発表の日毎、死んでも死に切れないような重苦しい気分で玄関を出る。
憎しみ覚えるほどの教員であったが、無事卒論発表を終えた後の温かみは生涯忘れられない。

いいものを生み出すには、学生の個性をねじ伏せ侵食するくらいに攻め込む働きかけが必要だ。
その反作用として、はじめて全力尽した真剣そのものの成果が生まれる。
学生を指導する教員は、真摯であればあるほど、学生を圧迫する権力者として権勢を振るわねばならないのである。

恩師である。心からそう思える。
不出来な学生であったにもかかわらず、よくぞ大真面目にプレッシャーかけてくれたものだ。有り難い。
厳しさに晒され、そこで奮闘した日々は私にとって今も貴重な財産であり続けている。

世の中が平穏で、性善説がまかり通る場であれば「箱入息子」でも困ったことはないのだが、子らが投げ出されその中を泳いでいかねばならない激闘の場は、どう甘く見積もっても、どうやら相当ハードな世界であるようだ。
数々の猛者と常に競い合い、ぶつかり合うくらいの毎日となっても何の不思議もない。

他者との摩擦を跳ね返し、打ち続く対立に平然とし、個性を堂々と押し出し、天職譲らず自らの流儀を押し通す精神性こそ、箱入息子に必要なものである。
子供時代に意に反し課せられる厳しい訓練と圧迫感、恐怖に晒される経験は、大いにプラスとなる。
もちろん厳しさの運用には細心の注意が必要であり、厳しさの体現者以外にフォローする役回りの布陣も不可欠であるし、分かった上での親のケアも大切となる。

結果的に、自らを最も強くしてくれた指導者こそ、末長く慕う「恩師」となる。
数々の恩師との出会いによって、子らは幸福を感受できる大人になっていく。