KORANIKATARU

子らに語る時々日記

サルの惑星

家の前が公園で、町の子供たちが遊ぶ様を見ていて、なるほどこの辺りの少年少女は、礼儀正しく身なりもキレイで、感心感心、知性も大人並、末はどんな大物、はたまたスターになるのだろうと思わせるような、未来の香を存分にたたえた、希望がさんざめき合っているような、宝箱の中にいるような佇まいである。(ちなみに少し北上すれば宝塚である。)
ほほ笑ましいことこの上ない。

しかしその一方で、やはりこの界隈にも、まるでサルのような輩もいるのであった。

腕白とか元気、調子がいいとか、そういう意味ではない。
キッキキッキと、畜生ッ気丸出し、粗野で下品で落ち着きなく、四六時中、あれやこれやキッキキッキと騒げる対象を物色しているような存在。何をしでかすかちょっと怖さを感じるような手合だ。

サル呼ばわりは、サルに失礼なのは百も承知なのだが、サルについてはいくらか覚えがあって、私にとってサルといえば大阪下町在住時の小学生時代、近所の路地で飼われていたあのサルのことである。
そのサルは炸裂するような凶暴粗暴さで狭い路地の王者として君臨していた。
路地を通る怖さといったらない。ギャー、とサルが飛びかかってくるのだ。
それに比べれば文化祭のお化け屋敷なんて笑ってしまうね。

通学路なのでその道を避けて通れない。いつ通ってもギャーと凄んでくるので確信もってそのサルの頭はカラッポだと断言できる。
何度もそこを通る少年に対する、親しみとか、ちょっと知ってるよとかいった愛嬌など一切ない。

人間から、奥ゆかしさとか知性といったオプション機能をそぎ落としたゼロスペックがサルなのである。

誰でもサル性があって、もとはゼロスペックなのだろうが、しかしそれは教育やら環境、躾や親の人間性によって、むき出しのサル的荒れ地は見事に植樹緑化され、たおやか人間性備えることとなる。

ところが、荒れ地のまま、売れ残りの雑種地みたいに、むき出しのサルのまま放置される輩も残念ながら生じてしまうようだ。遺伝だからどうしようもないという問題ではないはずだ。遺伝で人間からサルが生まれるなんて、びっくり大図鑑にも書いてない。

路地で飼われるモノホンのサルならば、ギャーと絶叫し非尊敬の世界で君臨してても不全感は一切覚えないだろうが、人間の場合、微か感じる不全感、これをさらにサル性で拭おうとするダイナミクスに入ってしまいかねない。群を抜く身体性でもあればヒーローへ一直線ともなりえるが、大半は始末に負えなくなってしまいかねない。

先日、公園で芦屋ラグビーの子らが練習していたという。
そこに居合わせたおサル君は大喜び大はしゃぎ。ラグビー少年らにキッキキッキと野次を飛ばし始めたという。
ラグビーボールはウンコ型とかいろんなことを言ったのだろう。

ラグビー少年らは意に介さず真面目に練習に取り組んでいたのだが、ラグビー自体について目の前でバカにされては黙っているわけにはいかない。
一体何なんだとおサル君に詰め寄り、ちょいとラグビーのイロハ、手ほどきを加えたあげた。
ラグビーのほんの触りの部分ですでにおサル君は花粉の季節でもないのに目を真っ赤に腫したという。

子供のサルはまだ実害が知れている。
報じられる日々のニュースに接する度、長じてもサル性を消し去れない人が少なくないと痛感させられる。

消臭スプレーで対処療法的に消しても、真っ赤な尻は隠せない。

サルでない振りしつつ、いかにも人間風情で振る舞って、ウフフ、趣味は料理ですとか言いつつ、実は家で菓子袋あさって食い散らかすような生活している人や、なんて子供はカワイイんでしょ、ウッフと微笑みつつ、隠れて幼児をこづき回して、エスカレートして殺してしまったり、老人をいたわる風に甲斐甲斐しく見せて誰も見てないところで物言わぬ老人の爪を剥がし、ほっと安堵の境地に浸ったり、、、言ってることとやってることは多少違うのが人間であるけれど、それはあんまり違いすぎるやろ、という話が多すぎる。
君らはなんでそんなにサルやねん、と聞く気も失せる。

今こそ脱サル教育が必要だ。
表面だけサルでない振りしても仕方ない。サルを完全に脱することはできない。
皆が皆、ベースはサルなのだ。
(おれは人間であいつはサルだ、と誤解した優越感の上で思考を育んではいけない。サル度の程度が異なるだけで同じ棟続き五十歩百歩だと知ることである。)

まずは足許から。
しげしげと自らがサルであることを自覚した上で、8勝7敗程度でも、サル性と拮抗できれば強者と言われるはずだ。
なすがまま全敗はいけない。一つでもサルに黒星をつけるのだ。
重力に逆らうように、自らのサル性にがっぷり四つ真っ向対峙し続けること。サル使いの名人を目指すことである。

考えておかねばならないのは、他所のサルに因縁つけられたらどうするか、である。
間違ってもサル退治なんて考えてはいけない。そんな歴史は繰り返してはならない。
猿山の立て札にあるように、極力目を合わさぬこと、無視すること、エサをあげないこと。

それでも襲って来られたら。
仕方ない、サル使いの本領発揮、がっぷり四つで負けないことである。
相手がゴリラなら、、、逃げろ。