KORANIKATARU

子らに語る時々日記

一無二少三多

朝から晩まで、全く力尽きることなく仕事し続けることができればどんなにいいだろう。
記録を読み返せば、出力常時100%という訳ではなかったけれど、つい数年前までは、夢見の理想ではなく、それくらいの仕事をしていた。
全く休みなく日の出前から皆が寝静まる頃まで仕事に明け暮れ、そして、休まない(リフレイン)のだ。
そのせいで我が家は母子家庭のようになっていたほどである。

当時のイメージが、自分の稼働量として残っている。
ベストの状態が基本イメージとなったまま、馬力幻想で、いまも仕事の消化具合を見通してしまう。

その頃は、無駄なことに精神的エネルギーを浪費しないよう、気力の維持を図れば良かった。
翻って今は、気力あっても、中途でガス欠、走れた距離が走れなくなるような、打てる球が捉えられなくなるような、そんなケースを自覚する。

様々考えた結果、しかし考えるまでもなく、ひとえに体力の衰えに原因があると見当がつく。
体力がないと長時間働くなんて、土台無理な話だ。
単に健康では足らず、頑強な体力がなければならない。

発想を転換して、長時間労働などやめてしまえばいいのだという逡巡もある。
そう思うと一瞬気が楽になる。
しかし、実際に長時間労働から意識的に遠ざかると、何とも心寂しいのである。
無意識のうち、かつての充溢するような奮闘の日々を求めてしまうのだ。
ある種の依存なのだろう。
それをとったら、何もない。そこにしか、覚醒がない、というような。

そうならば、自分が楽できる方向を模索する前に、とことこん、力の限界を見極めてみようという気になる。
体力のテコ入れだ。
ちゃんと自分の生活を見直し、出力アップできるようカラダをチューニングするのである。

体力は、日頃の正しい習慣から培われる。

一無二少三多という言葉がある。

自分自身のコンディションを常にベストに保つ心配りを凝縮した内容である。
簡潔な標語があると、意識の端に留めやすい。
・一無(無煙・・・タバコの煙を避ける。)
・二少(少食、少酒・・・腹八分目で酒は1単位まで。)
・三多(多動、多接、多休・・・ほどほど運動し、人や事物に多く接し、ちゃんと休む。)

ガンガン食って、酒飲んでスカッとストレス発散、翌日はホームラン。こんなことはもうあり得ない。
今は、食べれば食べるほどカラダは疲労し、酒は二杯で朦朧、口数激減といった有様である。
飲み過ぎ食べ過ぎで、翌日の出力は大幅ダウン。
かつての誤った認識を正さなければならない。

タバコはとっくの昔にやめたけれど、やめればいいってもんでもない。
ひと頃自分が吸っていたくせに、いまは副流煙で気分が悪くなることも少なくない。
はっきりカラダに悪いので回避することだ。

そして、疲労を覚えない程度に運動を心掛け精神的な活動を活性化、ここが大事だが、ちゃんと休む。
この歳になると、ちゃんと休むことで、疲れを除去し体力の回復を図る、常日頃から体力をセーブすることへの配慮が不可欠になる。
無駄な体力を浪費をしないという自己管理が必要となる。

自分のMAXを探索し、いよいよ限界、もう行けることろまで行った、あとは引き返すだけという段になれば、心晴れて脇に下がり、本格的なチーム作ってその監督に納まり返るつもりだ。もうすぐかもしれない。