三田ラグビーカーニバル観戦の後、熊の郷で湯に浸かり、アウトレットで買物、食事も済ませて帰途についた。
夕刻時、宝塚へ向う中国道は12kmの渋滞であった。
たまらず西宮北ICで途中下車し六甲北有料道路へ向う。
渋滞に巻き込まれるよりは、少し遠回りしてでも快適に運転する方がいい。
長尾ランプから新神戸トンネルを目指し、一路南へひた走る。
子らは寝入っている。試合後の湯上がり、しかもお腹いっぱい。
規則正しく奏でられる寝息が耳に心地いい。
クルマを運転していると、脳波の加減か意識状態がほんのり変性するようだ。
様々な思いが目まぐるしく去来する。
かるーい「走馬灯状態」に入り込むようなものかもしれない。
潮が引いて地表が露出するように、普段意識に上ってこないような思念や記憶が次々現れる。
最近会った友人ら一人一人の活躍ぶりが、かつての思い出ととも浮かんでは消える。
10代はじめ毛の生え始めのちびっ子時代から大学に入る青年期の入口まで、ずっと一緒に過ごした仲間というのは、この先二度と作ることができない。
いくらリーブ21に相談しても、友達が生えてくる訳はない。
しかも、その友人達は毛のように生え変わるものでもないのだ。
彼らとの付き合いは、代替不能で、抜けたら最後。それ以外ありえないものなのである。
何やらかんやら、最近交流する場面が増え、それぞれ忙しい身ではあってもメールやfacebookなどで近況を知らせ合い、互いの情報を交換できるようになった。
そしてその輪が着実に広がっている。
互いを盛り立て、それぞれが互いの居場所となるような、何とも豊かな「場」が組成されつつある。
その馥郁とした豊かさを味わいつつ、制限速度守って、快調にクルマを飛ばす。
ふと気付くと、新神戸トンネル入口を過ぎていた。
完全に意識が飛んでいたようだ。
こっから先は未知の世界である。薄暗がりの中、迷子になった気分となる。
行先標識に鳴門や徳島などとある。
このまま西宮に帰れないとどうなるか。
新聞に取り上げられていた行方不明者の記事が思い浮かぶ。
仕事で警察に行くと、尋ね人の張り紙の多さに驚かされる。
行方不明者はどこか例えばあいりん地区の一隅などで元気に生きているのだろうか、死んでしまって見つからないだけなのでないか。
そう言えば、先週も甲子園口駅で飛び込み自殺があった。
のどかな雰囲気の甲子園口駅でさえ、毎年のように人身事故が起きている。
幸福色に塗りたくられ影に潜む不幸が見えにくくなっているけれど、間違いなく日本は世界屈指の自殺大国、自殺願望者で溢れかえる国なのだ。
適当な高速の出口で降りたとしても山の中であれば、よそ者はドツボにはまるだけだ。
はるか西に行き過ぎだが、ナビが指示する白川南でまで突き進むしかない。
空の暗さが増してくる。予定の帰宅時間を大幅に過ぎている。
物言えば唇寒し秋の風、自らの失言の記憶などが頭を巡って、居心地悪さで、少し顔が歪む。
ソリが合わない対人関係で生じた嫌味や小言の数々が脳裏をよぎり、バックコーラスのように響き渡る。
長田方面という見知った地名を発見する。緊張がとける。白川南で間違いなさそうだ。
高速を降り、なだらかな山道をぐるぐる下って、東へ向う。
遠く神戸の街の灯が麓の先にのぞき見えてくる。
信号待ちでほっと一息。街路灯に照らされる子らの寝顔を見る。
子らはよく頑張った。
ラグビーの試合の場面、子らの活躍の様子を思い起こす。
試合に臨み、昨晩から長男、二男とも幾分ナーバスになっていた。
しかし、緊張感を闘志に変えて、積極果敢、対戦相手に立ち向かっていった。
二男の前への突進、長男の相手をひしゃげ潰してしまうよう激しいタックルが、目に焼き付いた。
阪神高速神戸線は魚崎まで14kmの渋滞だ。
神戸の夜景を左右に見つつ、43号線を進む。
嫌なこと、不快なことも絶えないけれど、時として、そんなようなことに見舞われ続けることも多々あれど、凹むようなことなど何もない。
家族があって、友人がいて、仕事があって、しかも健康だ。
何がどうあれ、誰がどう言おうと、お釣りが来るほど幸福だ。
気負って大言壮語することもなく、あえて大所高所にもこだわらず、自分の持ち場でぶれずにマイペース日々過ごすことである。
耳障りであっても「バックコーラス」など、ものの数ではない。向こう張ってる暇もないはずだ。
「人をののしり 世をいかる はげしき歌を ひめよかし」である。
自宅まであとほんの少しのところ、気分もすっかりほぐれてきた。
甲子園筋の大丸ピーコックでワインを買い、そして、すやすや眠る子らを運んでいよいよ家路についた。