KORANIKATARU

子らに語る時々日記

きけん立入禁止

金木犀の香りに微か包まれ始めた住宅街を抜けて武庫川河川敷緑地を南へ走る。

耳にする音楽はK-POP。野獣系アイドルの2PMだ。
安物ポップスだと言われる向きもあるだろうが、気分がほぐれ元気出るので気に入っている。
ニンニクミュージックと名付けている。
ソウルを訪れた時、サウナ入った後の湯上がり、韓国のおじさんらに混じって歌謡番組に見入った。
何ともくつろいだ雰囲気が心地よく、見知らぬ人々に親近感が湧いた。
歌謡番組が持つ癒し効果を実感した一場面であった。
韓流の歌謡曲を聴くと、あの心地よさが余韻嫋々と蘇る。

ところで、数日前の夕方、同じ武庫川ルートを走っていたのだが、パトカーや救急車が河川敷緑地に停まり、警察官、救急隊員や西宮市職員らがマスクつけて、ホームレス居住の青テント周辺に集まっていた。何やら物々しい。
テントから出てきた市職員がアウトのジェスチャーを仲間に送っている。
テントの主が亡くなったようだ。

今朝、同じ場所を通り掛かると、古くからあったその青テントは、人を寄せ付けないためか黄色テープでぐるぐる巻きにされていた。

青テントの主のことを考える。
そんな生き方はまっぴらご免であるし、たった一日でも真似したいと思わないが、よくぞ何年も生き延びたものでる。
激しい雨の日、氷点下の寒さの日、どうやって凌いできたのか、想像もできない。
私なら為す術なく途方にくれて涙流して助け乞うのが関の山だろう。

しかし、走りつつ思う。
案外、何とかなるものなのかもしれない。
例えば、勤め人であった頃、自営業者となって独立したらどうやって収入を得たらいいのか全くイメージできなかった。
生業とする書類屋稼業については喰えないというのが定説であったし、それを実際に職業として何年も経つけれど、確かにその通りであると思う。
しかし、その立場で生きることを余儀なくされると、かつかつではあっても、食事できる程度の収入は得られるのだ。
打ち続く労務労役に粉骨砕身しヘトヘトになっても、一切儲かるようなこともなく、子らの給食費を遅れ遅れ捻出するのがやっとだが、何とかなっている。
不思議なことである。(注:溢れる涙が河となり真っ赤な海となった、という類いの白髪三千丈的大げさな漢詩表現に過ぎたと釈明)

腹さえ決まれば、青テント暮しでも、食料の調達、雨露を凌ぐ手段、暖をとる方法、自家発電、様々活路は開けるに違いない。
その立場では普通の人との交流は持てないし、直に尊敬は得られないかもしれないが、ネット接続でき情報発信できれば、寄る辺となる最低限のコミュニケーションは確保できる可能性もある。

青テント通信というブログがあれば、興味津々だ。
そこには、あらゆるビビッド情報が溢れている。
暴漢対策、野犬騒動、立ち退きを求める市職員に対するとぼけた対応、次はどうなるんだとハラハラさせるような日々の問題解決が綴られる。
一定の読者がつくのは間違いない。
そして、そうなれば、より積極的に明日に向かって青テント生活を繰り広げることができるようになる。

四季の移ろいと日々のお天道さまの流れに溶け込んで、命の火を誰気兼ねなく灯すことができる。
やまない雨はない、明けない夜はない、雨降って地固まる、春の来ない冬はない、といった言葉を最もありありと実感できる暮し。

甘っちょろい暮しでは絶対ない。常に意識を全方位に張り巡らせ、常に武器を携えねば身の安全も確保できない。
しかし、一度その暮しに腰を下ろすと、意外にも、、、やってやれないことはないのかもしれない。
出費もあまりない暮しだから、下手すれば借金だらけの人より、結構小金は貯まるということだってあり得る。
良くすれば、晴耕雨読を気取れる日だってあるかもしれない。

世の中、実のところもっと酷い毎日にしがみついている人もいるに違いない。
ある人は、家庭は地獄だといい、ある人は、会社が地獄だという。
年に3万人も自殺する国である。
平均して毎時4人弱がこの国のどこかで、死を選び続けている、または死に追い込まれ続けている。

一概には言えないにしても、苦悶する暮し、それにしがみつくために歯を食いしばる毎日に比べて、必ずしも武庫川河川敷の青テント暮しが見劣りするとは思えない。

武庫川河川敷の青テントでは、上司に尻を蹴っ飛ばされる事もなく、威張り散らした赤の他人にペコペコし言い逃れや言い訳を戦々恐々毎日考える必要もなく、借金取りに追われることも、女房にどやされ嫌味言われることもない。子の非行に頭を悩ませることも、親の介護に骨を折ることもない。

もちろん、私は青テント暮らしなんて真っ平だ。日々頭悩ませ、奮闘する毎日、家族とともにあって、苦楽ともにする暮しを譲るわけにはいかない。

ただ、不条理な世の中、ちょっとした加減で隘路に落ちて、不本意で不当な日々を余儀なくされ、苦しくてたまらない場合、誰に依存せずとも、このような生活を選び取ることもできるくらい人間は自由であると、伝えたいのである。

青テントの主にも、数々、胸をよぎる面影はあったはずだ。
その誰かを常に思い続ける日々であっただろう。事情は知らないが、やるせない思いに沈むときもあったに違いない。
終の間際、たった一人、最も大事な人の面影が、彼の心にあったと信じたい。
それはそれで、れっきとした、一つの人生であったのだ。

♬おぼろにけぶる月の夜を、対のラクダはとぼとぼと、砂丘を越えて行きました、黙って越えて行きました♪・・・月の沙漠。(・・・「砂丘」は死を意味するのだろう)

空高く風が流れ、雲がすじ状のラインを描く。すっかり秋である。
ずいぶん肌寒くなってきた。
私は、さっさと家に帰って、YouTubeで子らと昔の歌謡曲でも観ることにする。

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