KORANIKATARU

子らに語る時々日記

狙い球を絞る

武庫川では地元中学陸上部のマラソン対抗戦が行われ、色とりどりのノボリがあちこちあがり活気にあふれていた。
「苦しいときこそ、ペースをあげろ」といったノボリの字句に目をやりながら、ゆっくり走る。
中学生の集団が、顔見知りのご老人に大きな声で挨拶している。
ご老人は、ご満悦、いい笑顔になって、その光景を見つつこっちまでいい気分になる。
天気のいい秋の休日、中学生が元気いっぱいで礼儀正しいってのは、清々しい。

ほんの小走りだが、最近ジョグを継続していて、すこぶる体調がいい。
これから訪れる極寒、さらに花粉の季節にまで続けられるかどうかは定かではないが、今のところ、ちょっと間延びした時間があれば武庫川に出かけひとっ走りするようになった。

また、ジョグの習慣と時を同じくし、ノンアルコールのALL-FREEを飲むようになった。
仕事後の主役の座はこれまでビールであったが、これには、飲むと酔うという欠点があった。
しかし、ALL-FREEだと酔いの倦怠がなく、しかも、渇きを一気に癒すあのシュッワとしたのど越しは、ビールと変わらない。
飲んでも意識明瞭だから仕事も運転も可能である。
ALL-FREEによって、時間と空間の可動域が広がった。カラダにいいかどうかは不明だけれど。

そして、これまた時を同じくして、依頼される仕事を見送ることが増えてきた。
これまでは、できる限り、引き受けていた。
丼飯かき込むように、取りあえず、入ってくるものは、何でも口に放り込んでいた。
やってくる仕事には意味があって何かのご縁、必ず依頼者の力にならねばならぬという信念があった。

しかし、最近、異なる境地で考えるようになった。

日々の地道な精進の賜物か、誰にも負けはしないという分野が2,3あって、それはそれは狭い領域だが、そこでは、楽に、圧倒的な優位さで仕事がこなせる。
些事末端のプロセスについて外注を回す仕組みも整っている。他の追随を許さない。同業者に強敵もいない。多分。
そして、そのアンカウンタブルな2,3の主要業務だけで、仕事の分量としては十分なのだ。
浮輪となるライフガードは2,3個あれば、それでぷかぷか楽に浮上できるのである。

何もかも来る球に手を出すロスは、たいへんなものである。とんでもないボール球もあれば。消える魔球もある。
狙い球を絞って、それを打ち返すだけで、打点は十分に稼げる。
見逃したボールは他の誰かが追いかければいい。余力ある誰かに取り組んでもらった方が依頼者の益にもなる。

主要業務の対象となる潜在顧客の母数をじっくり見渡す鷹揚さを欠いて、しゃかりきにあの分野もこの分野も何でも頑張ろうという完璧主義と取扱業務拡大主義は、自分のクビを絞めるだけなのであった。

高台から、はるか夜景でも見渡すと、各行政区画ごとに最悪でもほんの1軒に主要業務で必要とされれば、暮らしていくに事足りると体感できる。
そして実のところ、1軒お客さんがあれば、その1軒が同地域の顧客を呼ぶので、最悪のケースに見舞われる方がレアかもしれない。

勤め人の方のように毎月決まった額が振り込まれるわけではないが、来たるべき未知の一カ月がフタを開ければ丸ごと空箱だということはあり得ない。
給料が決まっている訳ではないから、必要な分、仕事すればいい。
例えば週に3日働いてあとは英気を養うということも、週に7日朝から晩まで働いてお金を稼ぐということも、どっちを選ぶも自由である。

そのように考えて、今後は主要業務については全面的に外に開き依頼を受け、それ以外は、既存顧客の依頼または主要業務候補のみに絞って仕事するというやり方にするつもりだ。
何も仕事量と顧客数で覇権争いをしているわけではないので、ボチボチとやっていけばいい。

仕事量の圧迫感から巨大な債務を負う感覚に慢性的に浸っていたが、これで悠々快適に過ごせるようになるかもしれない。
しかし言っておかねばならないが、狙い球を絞るのは長じてからでいい。手習いの頃は何でも身に付くよう、どんな球にでも対処できるようしっかり土台固めすることが大事である。どれでも打つことができるからこそ、選択という悩ましいプロセスに入ることができるのである。

いい仲間がいい仲間を呼び寄せるように、いい習慣はいい習慣を引き寄せる。
ジョグ、ノンアルコール、仕事の区分け、これらは違った風に見えて、「身軽さの生成」というアングルで見れば同じこと。
これらが相俟って、ラーメンがとても美味しく、ますます肥ゆる秋である。
すべてが符合し、好循環に向かう。
かばん1個に全部納まる商売道具ひっさげ、今日は東へ明日は西、はたまたどっかで回り道である。