KORANIKATARU

子らに語る時々日記

鬼ケ島二十五景

鬼ケ島に住む友人の話である。
鬼ケ島に住んでかれこれ3年ほど経つ。
子供はまだない。
開業して間もないので徐々に上向きの兆しはあるけれど依然、安閑としていられない暮らし向きだ。
そして何より、相変わらず鬼が怖い。

忘年会シーズン、鬼の居ぬ間に命の洗濯を敢行したとくも、小遣いが厳しく制限されている為、5千円を超える高額な飲み会はことごとく見送らざるを得ない。
グラス傾けふかふかソファで接待受ける龍宮城へのお出ましなど夢のまた夢である。
友人らとはどんどん疎遠になっていく。
世間並の収入があっても、財布の紐は完全に鬼の管制下に置かれている。
お金がないとこれほど息が詰まるのかと骨身に沁みて知った。おまけに常に鬼が傍にいて身も縮む。
鬼に金棒、鬼に小判、鬼だけがますます肥ゆ太るばかり。

自分が鬼ケ島に住む羽目に陥るとは夢にも思わなかったという。
もともとは全部自分のものだったはずのものが、いまや家財一切実質上全て鬼の懐にある。
脱出するための元手すらなく、裸一貫逃げおおせたところで、背負った借財に抗する術なく衰弱死するのが目に見えている。

鬼ケ島で息を潜める今の暮らしが考え得る最上の生活だ。
何度も考えてもこの結論以外見出せない。

いつか社会問題となって、暴鬼法が晴れて成立すれば少しは恩恵に与れるかもしれない。
しかし、実現不可能だろう。
鬼ケ島の問題ほど他聞はばかる話題はない。
皆一様に堅く堅く口を閉ざし、公の場でつまびらか語られることなどあり得ない。
惻隠の情をもって無言のうち互いに共感の念を交わすのが精一杯のところだ。ご愁傷様。

彼も、いろいろ試みたという。
そもそもが相当に優秀な男である。
置かれた場に対する客観的な状況把握力と適応力、そして感情を抑制しての理路整然とした問題対応力と解決力は頼もしいほどだ。

自分自身に、鬼を鬼たらしめる責任の一端があるのかもしれない。まずは、そう考えた。
鬼に対し反撃する前に隗より始めよ、我が身を振り返り、事あるごとに自省し、己を責めた。
しかしこれはもう自己破壊行為としかならなかった。
それ見たことかと鬼の責苦は倍加される一方であった。
鬼ケ島で自らを責めれば、一体誰が我が身を救うのだ、命からがら悟って方針転換したという。

次に、鬼も人の子その心情に寄り添い相手を元気づけ徹底的に思いやりをもって接すれば、何か暖かなふんわりとした空気が醸し出されるのではないかと考えた。
しかしこれまた、全面降伏した敵軍捕虜みたいな惨めな立場で、煮え湯飲まされ足蹴にされるだけだった。
自己放棄したようなハンパ者は、何ら胸中斟酌されず手心も加えられず糞袋のような扱いを受けるだけだった。

彼ほどの手だれをもってしても、鬼ケ島では太刀打ちできないのだ。
キジサルイヌが助けに来てくれるなど、おとぎ話に過ぎない。
遠く残してきたじいさん、ばあさんに心配かけるわけにもいかない。

鬼ケ島のような激震強風地帯では、25通りにも及ぶ鬼の表情地図に常に注意を巡らせて、自らに及ぶ被害を最小限に留めるという消極的対応以外ない。
無事平穏な暮らしを実現するなど噴飯が吹雪のように降り注ぐ途方もない夢物語である。

頭のいい彼が結論づけたように、もはや、他の選択はないのである。
故事にもある。
「骨を埋むるに何ぞ期せん 墳墓の地を 人間到る処に 青山有り」
人間その気になればどこが死に場所になっても構わないのである。

しかし、私自身が鬼ケ島を免れたからと言って、他人事を決め込む訳にはいかない。
鬼ケ島に迷い込んだら最期、豆を蒔いても栓方無いが、鬼を回避するヒントは先人が残してくれた。
鬼を分別するうえでとても参考になる25箇条、後世に向け記さねばならない。
どうか神様のご加護がありますように。

宝塚歌劇団ブスの25ヶ条>
1.  笑顔がない
2.  お礼を言わない
3.  美味しいと言わない
4.  精気がない
5.  自信がない
6.  愚痴をこぼす
7.  希望や信念がない
8.  いつも周囲が悪いと思っている
9.  自分がブスであることを知らない
10. 声が小さくイジケている
11. なんでもないことに傷つく
12. 他人に嫉妬する
13. 目が輝いていない
14. いつも口がへの字の形がしている
15. 責任転嫁がうまい
16. 他人をうらやむ
17. 悲観的に物事を考える
18. 問題意識を持っていない
19. 他人につくさない
20. 他人を信じない
21. 人生においても仕事においても意欲がない
22. 謙虚さがなく傲慢である
23. 他人のアドバイスや忠告を受け入れない
24. 自分が最も正しいと信じ込んでいる
25. 存在自体が周囲を暗くする