KORANIKATARU

子らに語る時々日記

遠くから来て遠くへ行く

介護事業に携わる方からお話を伺う機会があった。
人材不足がかなり深刻らしい。
ここ数年で介護離れに拍車がかかり求人が困難を極める。
介護福祉士の資格保有者を何とか採用できても、具体的な仕事のイメージを欠いたままの人が多い。
現場では当たり前のおしめの取り替え程度の業務で参ってしまって、離職するケースが後を絶たないという。

今後日本では、介護の対象となるご老人の方はますます増え、それを支える生産年齢人口が減少する。
社会保障に充てる財源も潤沢でないとすれば、介護保険の報酬も期待薄。
介護職場には夢も希望もないという雲行きである。

人材が枯渇する中、事業者が一縷の望みを託すのが、まずはEPAによるフィリピン人やインドネシア人の介護福祉士候補者の受入条件緩和だ。
さらにTPPによって外国人労働者が介護業務に従事することができるようになればずいぶん見通しがよくなる。
何しろ現実に日本人の担い手がいないのである。将来、介護保険制度が事業者側にメリットあるよう改善されるという期待も持てない。
外国人に頼るという未来像以外に描けない。

外国人が大量流入してくると、日本人従事者の賃金に下げ圧力がかかるといった否定論もある。しかし、すでに介護業務従事者の賃金は最底辺を這っている。このままだと介護離れはますます極まり、肝心の要介護老人がサービスを享受することができなくなりかねない。背に腹は変えられないとはまさにこのことだ。

昔に比べて街で外国人を見る機会は増えた。それで著しく治安が悪くなったなど顕著な問題でも生じただろうか。むしろ、人のいい外国人がたちの悪い日本人になぶり殺しにされるような時代である。

元気でスキルがあってホスピタリティにあふれる外国人にどんどん入ってきてもらって、介護から子守りからあれこれ任せてみたら、明暗差し引いて、きっと明るい方が残ると思うのだが、どうだろう。

ゴッドファーザーⅡの出だし導入部にある一場面。
自由の女神が姿を現し、移民船のデッキに佇む人々の視線が一斉に注がれる。
誰もが息をのむように、じっと見入る。

未知の世界に臨む複雑で奥深い感情が映像から強く伝わってくるシーンである。
胸に迫る。

それは、人類に脈々と通じる普遍的な心象に違いない。
私にもかつてあったように、私だけでなく先祖の誰にも訪れたように、早大生が入学式で大隈講堂を見上げた時のように、いつの日か、我が子らにも、ぐっと噛み締めるような思いで、新しい地平に入っていくときが来る。

今後、海を渡って多くの外国人が日本にやってくるに違いない。
彼ら移住民に対ししてあげられることが何もなくても、せめて敬意と共感の念だけは忘れないようにしなければならない。