KORANIKATARU

子らに語る時々日記

自慢の孫

先日、久々に田中内科クリニックに向かった。
田中先生の注射で気力取り戻さねばという、道中ヘナヘナな意識のまにま、阿倍野と言えば、在りし日の祖母が行商に出かける始発駅であったことを思い出す。
健在だった頃、祖母はバスと電車を乗り継ぎ、自分の背丈より嵩あるような仕入品の荷を背負って、南河内方面の各戸玄関先をまわって歩いた。

しんどい仕事であったはずだが、仕事の愚痴など聞いた事がない。
それどころか、祖母からは、楽しくてならないという様子さえ窺えた。

隣り合った誰とでも話し込むような祖母だった。
話の枕はきまって息子や孫の自慢話であったと、葬儀のはるか後、祖母のお客さんだったという方から聞いた。

母方の祖母が、静かな居住まいで、ただただ人によくする風な穏やかな人であったのとは対照的に、どこででも熱く話し込み、独特のユーモアセンスで周囲を明るく盛り上げた。
興に乗ってくると「あの山越えて~♪」と独特の節回しで持ち歌まで披露するのであった。

南河内方面には、温かいお人柄の方が多いのだろう。
祖母はずいぶん贔屓にしてもらえたようだ。
商品を買ってもらえ、おまけに、とても大事にしてくれる。
そして、満足いくまで話まで聞いてもらえるのだ。

長男が生まれて間もない頃、家族連れ立って一人暮らしする祖母を訪ねたことがあった。
居宅に祖母はおらず、残念、引上げようと思ったところ、家内が近所の公園を覗いてみようといった。

家内の勘が見事に当たった。祖母は、本当に近くの公園にいた。
(一体なんで祖母の居場所を察することができたのか謎である。家内本人にも分からないらしい。)

祖母は、どこかのおじさんに一生懸命話している最中であった。
我ら家族が傍にやってきたことに気づいたとき、祖母は一瞬ビックリした様子だったが、すぐに何とも言えないようなパーと花咲く笑顔となった。

ちょうどそのおじさんに自慢の孫やひ孫の話をしていたに違いないのだ。
その当のぴっかぴかの登場人物がまさしく眼の前に現れたのである。
祖母にとってこれほど痛快な場面はなかっただろう。

そんなことを回想しつつ、田中内科クリニックで、いつもの注射をお見舞いしてもらう。清涼感が体中に拡がる。
在りし日に、阿倍野に田中内科クリニックがあれば祖母は大いに喜んで田中院長のもとへ通い詰めたことだろう。

いつも通り、効き目が早い。次第に力が満ちてくる。
そして、祖母の面影を思い浮かべながら、考えた。

あれだけパワフルで面白かった祖母の血を受け継ぐものとして、恥ずかしいことはできない、少しはマシな男にならねばならない。
何しろ私は、祖母からすれば「自慢の孫」であったはずなのだ。

ありとあらゆる色々な思いが、遠く遠く伝わって、祖母や父、母を経由し、いまの私がある。
そして今や二人の息子まで授かった。

そういった壮大な縦の系譜に思い至れば、しょうもないことをぼやいたり、つまらないことで不平不満こぼしたり、どうでもいいことに関わって苛ついたり、あんたは分からず屋だと毒づいたりなど、何もかも下賎極まりないと身にしみる。

そうそう、祖母が見ている。
祖母がガックシ肩落とすような、無様な振舞いは厳に慎まねばならない。
何しろ私は、自慢の孫なのだ。