KORANIKATARU

子らに語る時々日記

4つの資源

春真っ盛りの好天の日であった。
顧客先で談笑を終え、エレベーターに乗り込んだ。
途中階から一人のおじさんが乗り込んできて、束の間、エレベーターは二人だけの密室となった。

そのおじさんが何かぼそぼそ呟き始める。
「ちょっと挨拶の声が大きすぎたかぁ」
「あれだと話も聴いてもらえないかぁ」
「次も断られそうだなぁ」

おじさんが扉に向け話す言葉を背中越し聞き続ける。
どうやら、飛び込み営業されている方で、ちょうど今しがたケンモホロロ追い返されたようだった。

独り言でも漏らさないと精神の平衡を保てない状況なのだろう。
エレベータから出た後も、麗らかな春の陽気に包まれた街へ去って行くそのおじさんの後ろ姿、とてもくたびれたような弱々しい後ろ姿から目が離せなかった。

きついノルマが課せられているに違いない。自分より年下の経営者にどやされる日々なのかもしれない。しかし、生活がかかっている。つっけんどんにされようが、冷笑浴びようが、人としてどれだけ情けない扱いを受けようが、耐え忍び、煩悶の中、日々の業務を、黙々と、いやとても黙々となんて無理である、つい気弱な嘆息も出てしまうけれど、それをこなす以外、生きる術がない。そして、そうならば、生きることはどれだけつらいのだ。

とても平和で幸福に満ちた装いの中、ふと、世間の厳しい一面が、残酷な真実の姿が垣間見えることがあるのだった。

子らには口を酸っぱくして何度も言い聞かせなければならない。
無責任な大人の甘言に絶対に弄ばれてはいけない。
時の運、ちょっとした人生の綾によって、孤立無援となりかねないほど人生は危険に満ち満ちていると考えておかねばならない。

万一そうなったときであっても、それがどうしたと、状況を跳ね返す力が、絶対に必要なのである。
押さえ込まれたまま、息も絶え絶えになって半目で援護求めても誰も来てくれはしない。

状況を跳ね返す力というのは、お手軽に手に入るものではない。
日々の心がけによる蓄積が不可欠となる。
日頃からの備えとして、自分を高め、プラスになる要素を増やし、自分を弱め、マイナスに働く要素を減らすことである。

前者のポジティブな面については、勉強にスポーツに、そして仲間を大事にするなど、よく頑張っていると思う。
今後、後者のネガティブな要因に意識的になり、守りを堅くしそれらを避けることを心得なければならない年頃になっていく。

例えば、タバコは吸わない、お金を浪費しない、ゲームに興じない、ギャンブルなどには目もくれない、といったようなことである。

いざというときに状況を跳ね返せるような力を獲得するには4つの資源が必要で、それは「お金」と「時間」と「カラダ」と「仲間」に集約される。
この四指標を損なうと、ろくなことにならない。

残念ながら、パパの努力が足らず、君たちはぼーと無頓着にしてても生活に困らないような富豪に生まれついた訳ではない。

一からコツコツ始めないと何も始まらない身分であると知らねばならない。