KORANIKATARU

子らに語る時々日記

勇気ある撤退

野田阪神交差点にある風風は大繁盛である。
その日は、二男の土産にたこ焼きを買おうと順番を待っていた。
順々に並んだ客がたこ焼きを受け取って行く。

順番が来て、女子スタッフがたこやきの包みを渡してくれた。
と、おっちゃんが割って入る。
ハワイでくつろぐようなイデタチのおっちゃんである。

「兄さん、あかんわ、あかんわ、それ、わいの。わいのやで。兄さん、人のもん、凄い勢いで取りはるねんもん、そりゃあかんで」

そのハワイ風情のおっちゃんは、私より先に注文を終えていてそこらで待っていたのだろう。
どっちでもいいので、さっさと手にしたたこ焼きをおっちゃんに差し出した。

傍にいた長男は、私が絡まれて劣勢にあると思って身を固めていたようだ。
文句を言われ、私がすごすご引き下がり、自分のたこ焼きを献上しているように見えたという。

長男からすればワイハ男の使用言語など聞き慣れない代物であり、ならば、そのおじさんが発する最大限の気遣いを汲み取れないのも無理はない。
ネイティブスピーカーでなければ粗暴粗雑な言葉の隙間に潜む愛嬌を嗅ぎ取るのは難しいだろう。

絡まれた場合の対応は、一歩間違えると大事に至る。
虚を突かれ状況判断を誤ると大げさでなく命にかかわる。
子らには対処法について教示しなければならない。

まず、このたこ焼きのケースでは、相手が愛嬌で来ようが来まいが、それに覆いかぶさって何か言い返すことは、たこ焼き買う話では済まず、倍加された逆上を買う恐れがある。

たこ焼き殺人事件なんて、ちょっと可笑しみ付加されたような災難に巻き込まれるのは絶対に避けねばならない。

流れるように、ワンタッチパスで、そこを離れる。
長居は無用。
ワンタッチパスで、すぐに離れるのが鉄則である。

例えば、大阪下町の銭湯で、サウナに入るといずれもいれずみのお兄さんがいて、何やら和んだ雰囲気で話しかけられ、普段聞いたことのないような殺人やら懲役の話などが展開される。
こういった場合、どうするか。
長男は、じっくり話し込むと答えたが、それは考え直した方がいい。

普通の裸の付き合いとはならない場合を折り込んで考えないといけない。
相手は悪い人ではないかもしれない。結構いい人かもしれない。
しかし、いつ何時、全く予想もつかないロジックや言葉尻で激高するか分からない。
最大限の注意を払って身構える必要がある。
そのまま用事でも思い出した振りして、さっさと服着て、外に出るのが無難である。

次に、そのサウナに行く途中、私が眼にした光景についても考えよう。

鶴橋駅だった。
車内に、ズボンの裾が股の付け根くらいといった短い丈のジーンズを履いた柄の悪そうな薄汚い感じのミテミテギャルがいて、駅を降りた途端、一人のおじさんに大きな声で絡み始めた。「おっさん、ずっと見とったやろ、なにじろじろ見とんねん、きしょいんじゃ」

きしょいのはどっちだ、と思いつつ、遠目に見ていたのだが、立ち去ろうとするおじさんをそのギャルは追いかけ、トマト祭りでトマトをぶつけ続けるみたいに、後ろからおじさんに罵声を浴びせ続ける。

まかり間違ってこんな言いがかりをつけられたら、どうするか。
長男は、なんやボケ、と言い返すと言ったが、誤りである。
相手は、相当のあばずれである。
口汚い言い争いになって、勝負になるわけがない。
ぎゃふんと言わせるなんて不可能だと心得なければならない。
それに、他に厄介な登場人物が後から現れるかもしれない。
全然知らない奴が現れて、「おまえ、おれ誰やと思ってるねん」と答えようのないクイズを延々出題される羽目になる。

対応は一つしかない。
そのおじさんがしたよりは、少しばかり堂々と、相手のことなど一切意に介さず、さっさとその場を立ち去ることである。
どれだけ腹立たしくても、一切、相手にしない。
ややこしさの粘度が増す前に、自由の世界に移動するに越したことはないのである。

どんな場合であれ、因縁つけられそうになったら、応じず、かわすことである。
一切関わらず、3階席から見物する観客のような眼で事を眺め、決して当事者となることなく、さっさとその場を離れることである。
挑発にのってみずから自発的に、攻めに転じてはならない。

つかみ合って絶対に負けない自信があっても、一丁言い聞かせてやろう、などと思ってはいけない。
その小競り合いで得られるものなど何もない。
せいぜい生傷か、傷害罪での罰金か。
勝っても、見知らぬ奴に言い聞かせても、何も得られない。

サルやイヌ(やキジ)ではあるまいし、道端になぞ、競い合う勝ち負けはない。
そんなところで勝負するほどの暇と余力はないはずだ。

心しなければならないが、トラブルは深みにはまると、絶句するような悲惨な結末に至ることもあるのである。
長く引きずるような人生の重しとなるだけならまだしも、自由奪われ監禁されて、ありとあらゆる暴力の実験台となり最後は命まで取られる。
そんなことだってないとは限らない。

その場に到ってからでは、初夏の風に吹かれ広い草原駆け巡る自由に思いを馳せても、遅いのである。
Take it easyと手を振って、向こう側へは一切立ち入らない。
何をどう思われようが、必ず、草原の側にいることである。

追記
自分の友達がひどい目に遭っている状況なら、さっさとその場を離れたら、ただのろくでなしである。
その場合は助けなければならない。
しかし、そうなる以前に手を打つ必要があるし、そのような状況に踏み入ることがないよう、厄介事を回避するよう日頃からセンサー研ぎ澄ませ頭を働かせねばならない。