KORANIKATARU

子らに語る時々日記

川の字トリオ

就寝前に長男と二男が寝転がってオバケのQ太郎を読む。
二年前、サンタが届けてくれたものである。
その横で私は何かしら本を読む。
父子共通の就寝儀式だ。

一日の終わり、もっとも平和で心安らぐ時間である。
イノセントなQ太郎とあいまって、平穏さが更に増す。
子らにとって何が幸せかという話で、ベッドでくつろいでマンガ読む幸福の右に出るものはないだろう。

平素、ほとんどマンガを読まない家である。
テレビも観ない。ゲームもしない。

もちろん、妙な劣等感を持たないよう、幼い頃はマンガもどっさり読ませたし、ゲームも一通り買い与えた。
(超優秀な友人であるきっしゃんは、ゲームは外科手術の技術を身に付ける基本訓練になるという見解を述べていた。外科医に育てるならゲームは必需かもしれない。しかしその前に難関の試験を突破する必要がある)

たまたまサンタにもらったQ太郎があるので、寝る前だけマンガのページを繰ることになる。

私自身にとっても、マンガを読むくつろぎは永遠の名シーンとして残っている。
子どもの頃、小さな実家の玄関先、石油ストーブの横で読み切れないほどのマンガを積み上げ寝そべって好きなだけ読む。
至福の時間であった。

彼らもまたいつか、心の内ふと蘇る温かな思い出としてQ太郎を読んだ時間を、隣で本読む親父の面影とともに回想することもあるだろう。

Q太郎の本を開いたまま、それぞれ眠りに落ちる。
眠りの中、長男はさしずめ迷宮入りした未解決事件を解明中で、二男は宇宙エスカレーターの設計に知恵を絞る、それぞれの好奇向く世界で、そんな夢を結んでいることだろう。

朝が来る。起きると決めた時間であっても、子どもである。
まだ眠っていたい。
しかし、行きつ戻りつ、リング上のしぶといボクサーのように手を付き膝を付き、力ふりしぼって立ち上がる。

いつかそのうち、ウキウキとした気分で飛び起きることができる毎日となる。
自分のため、自分を高めることを目指す人生であれば、早い時間に目を覚ますというのが基本中の基本であり、そうであれば起きることは苦になるどころか喜びだ。
夜行性より、朝型の方が、一日を欲しいままにできる。

もちろんたまには、思う存分眠ることも大切だ。
特に疲れていたり、悩みがある場合には、好き放題ぐっすり眠るに限る。
状況や流れを変えるときには、先手必勝、まずは全身の力を抜いてスヤスヤ寝てしまうことから始めるのが鉄則だ。

そのような将来の眠りの中、深い深い意識の世界に分け入っていくと、ほのかに光る炎が見える、そこに、あの当時身を寄せて川の字で眠った我々が現れる。ついでにQ太郎も姿を現すことだろう。
案外、深層意識に現れたQ太郎あたりが切り札となって、日々に必要な答えのヒントを連発してくれることだろう。