KORANIKATARU

子らに語る時々日記

男の居場所ブギウギ

家は女性の居場所である。
男にとって仕事が肝心要のフィールドであるのと同じくらい、女性にとっては家こそが人生の実感がリアルに伴う最重要の場所となる。

だから、男がのこのこ家にいるなんて、虎のなわばりを踏み荒らすみたいな暴挙となる。
トラブルのもとだ。

男は家にいてはいけない。
男にとっては、仕事が居場所であり、仲間との交流が居場所である。
そして、孤独な状態に居心地良さを感じるくらいが丁度いい。

亭主元気で留守がいい。
これが家庭の憲法第1条だ。
忘れてはならない。

家事分担などといったインチキくさいイメージに、のせられてはならない。
そんなもの、心から喜ぶ女性などいない。
こいつ、何、野菜切ってるねん、こいつ、何、風呂洗ってるねん、仕事せえよ、頼むから仕事して生活を楽にしてくれよ、女房子どもにちょっとくらい贅沢させろよ、という内心で激しく渦巻くぼやきの爆音に気付かなければならない。

例えば高熱でうなされていようが、男は、家にいても仕方がない。
はってでも外に出て、後は何とかしなければならない。

そして、老後も同じである。
老境の男が所在なく家にいる図を思い浮かべるといい。
これはもう、胸が詰まる。
どれだけ歳とろうが、外に出て、交流し、仕事することを目指したい。

だから、最後は、潔くというのがいい。
老いさらばえて、外部との交流が果たせないほど耄碌すれば、もう思い残すことはないはずだ。
延命治療などお断りである。
しっかりした最期で締め括れれば、それでいい。

役目ある間、お迎えは来ないだろうが、40も過ぎたので、いつ死んでもいいように、気構えはもっておきたい。
ぽんぽんと死神に肩を叩かれても、慌てることなく、案外早かったね、と潔く往生できるだけの心の準備を少しずつ始めなければならない。
早過ぎることでもないだろう。

だから何があっても、たとえ野生動物のように野垂れ死にするようなことがあっても、「親父、もっと生きたかったやろ〜、もっとましな死に方したかったやろ〜」と泣くことはない。
40代で既に、まあ満足、痛くなければ後はどっちでもいいと思っているのである。

その時までしっかりと時間を味わい尽くし、奮闘の限りを尽し、見届けるものを見届け、責任を果たし、そして、後は、君たちの胸を居場所に少しばかり面影を残して、跡形もなく消えて行くだけのことである。