KORANIKATARU

子らに語る時々日記

河内長野市長選2012その3

衛星都市の選挙において、候補者の中身がどうの、町の活性化といった争点がどうの、そんなことは勝負に関係がない。
票取り合戦で、鉄板の組織票をどれだけガチで固めるかが唯一のポイントだ。

パッと出の新人の出る幕など無いに等しい。
せめて時間があれば、日本人好みの勧善懲悪物語でも拵えて、悪を倒し溜飲下げてもらうという筋立てもできたかもしれない。
しかしそんな一面の実相を浸透させる猶予は全くない。

島田智明にとって残るは、選挙など見向きもしない、投票などに来るはずがない無関心層にどれだけ訴求できるか、その心をどれだけ動かすことができるかという、思うだけですら不毛な試みを繰り広げるという打ち手しかないのだった。

7月7日、風が次第に心地よくなる夕刻時、島田智明は、生まれ育った府営住宅を、遠方から集まった同級生ら数人と、声を大に手を振り歩き、投票を呼び掛ける。
投票に来て下さい、そこで、比べて下さい。どちらが適任か、どちらが河内長野の未来のために真剣に取り組むか。

千代田駅では現職陣営が、目がチカチカするほどの黄色を従え、スター府議と現職が声を涸らす。
一体なぜそこまで、声からしてまで自分の名を連呼するのだろう。
あと1期どうしてもしがみつかねばならない理由でもあるのだろうか。
隣接するコンビニでは、通りに面した場所であるのに、ちっこい中学生らが周囲を威嚇するようにこれみよがしタバコを吸っている。
千代田中学の校舎の裏では、これまた中学生がたむろし奇声を発している。
大人であっても身構えるような柄の悪さである。
大阪一の教育都市やら教育立市といった現職の口当たりのいい主張の空疎さがあまりに哀しい光景であった。

その夜、いまは弁理士となった同級生のデビルの案内で、河内長野で外環伝いにクルマを走らせカブトムシを取りに行く。
途中、現職陣営の集会にあつまる黄色の多さに圧倒され、我々は言葉を失った。

夜中の林を5箇所まわったけれど、結局、カブトムシもクワガタも見つけることができなかった。
こんな結果も想定していたのか、デビルは、北摂の原生林で見つけたというノコギリクワガタのつがいを用意してくれていて、それを二男に譲ってくれた。
二男には一生忘れられない思い出のクワガタとなったはずである。常にファイティングポーズ崩さない誇り高いノコギリクワガタである。今の河内長野ではお目にかかれない代物だろう。

そして、翌日夜の10時過ぎに結果が出た。
現職20,000票に対し、島田智明14,000票。
投票率はわずか38%。
市制始まって以来最低。
市長が誰であろうと、市政がどうであろうと、大半の市民にとってどうでもいいということなのだ。
選挙期間を通じ多少なり経済がまわった、地元はそれで十分なのかもしれない。

思った以上に現職の票が奮わなかったけれど、念願のあともう1期を過ごせることになったようだ。
喜びも一入であろう。
図らずも、元教師である現職の市長から、選挙とは他力本願であるということを、我々は教わった。
この市長が、どのような理念を唱えようと、美辞麗句を並べようと、目を覆うばかりに人のふんどしにすがる本質が透けて見えてしまった。
いっそ、河内長野の子の育成、教育の根本テーマとして「依頼心」を第一義に掲げればいいのではないだろうか。

3万票のスター府議の票を恃みに、献金しただのどうだの地元では噂されているが、宗教団体の力も使って、組織票で固めた20,000票。
ちょっと数字が大幅に足りないのは、見込み違いの取りこぼしか、人望のなさの表れか。
4年間の冬眠決め込むみたいに市職員がソッポ向き、駆動力を欠いた市行政の停滞感がますます強まるのだろう。

組織票なしで島田智明が14,000票とったことを考えれば、宗教団体がなければ、現職の再選などなかったのかもしれない。
1ヶ月足らずという僅かな期間のみ名乗りを挙げた青年に負けたとなれば、地元での立つ瀬もなかっただろう。
いろいろ事情もおありでどんな手使ってもというなりふり構わぬ必死の選挙戦だったのかもしれない。

そして、島田智明の今後である。
疲労とともに色々な思いが去来するであろうが、疲れを抜いた後、最も相応しい力の発揮場所を定めることだろう。
もはや河内長野ではないかもしれない。

少なくとも言えることは、人材の沈下傾向著しいこの日本にあって、あのインシアードをはじめとする苛酷な知的訓練を経てきた島田智明の能力は、この先ますます引く手あまたであり、活躍の場は絶えることがないということである。
男芸者風情はもうたくさん。空っぽな手合いが為す空虚な政治ごっこに首を突っ込んでる場合ではないだろう。
真に力ある若者らのロールモデルとして、星光33期の一員として、更なる高みを目指してもらいたい。