KORANIKATARU

子らに語る時々日記

黒字父さん

昨晩の夕飯は阿倍野で牡蠣の名店やまと。
阿倍野田中内科クリニックの田中院長と会計士の章夫におごってもらった。
繁忙の7月終盤、束の間の休息。
何やかやの話のなかで、ブログが面白いのでもっと書けばいいという話になった。

テクニカルターム混じりの仕事言語空間にこもった後、ブログ書くのは深呼吸がてら柔軟体操するような心地よさで、それをもっと書くというのは、それはもう望むところだが、男も40を過ぎれば制約条件に雁字搦めになっているのであった。

仕事ばかりすることで形成された生活レベルはこれはもうそうカンタンに下方へと修正することは難しく、子は育ち盛りの食い盛り。子の学費や老後の蓄えなども考えると、まずは何より、実になる仕事を優先させることになる。背中が張り、頭痛がし、目がかすみ、腰が痛もうが、仕事、仕事、仕事である。

仕事が差し迫ってくると、子らに向け、あれやこれや書き残したい話も生じるが、手っ取り早くtwittertumblrなどでメモ書きしそしてそのままということになる。

浮かれて楽しくばかり過ごせる訳ではない。
締切に追われ、課題を解決し、手違いを謝罪し、そして急用が入る。
毎朝、案じ事とともに目が覚める。

いつかは楽できる、というのは幻想だろう。
隠居でない限り、持ち場というのは必ずある。
楽してそこで手を抜けば、蟻の一穴、そこから決壊となるだけである。

かつては大きく商いしていた風俗業の社長が言っていた。
信頼しても信用するな。

その二代目社長は常に金持ちでなければならないような立場にあった。
一族皆が、やたらと金を使う。
身に付いた金遣い癖はなかなか治らない。
金持ちであったはずが、法改正など業界に逆風が吹き始め、立場が変わる。
資金繰りが厳しくなる。
いくらでも湧いて出たはずのお金が枯渇していく。

沈む船から逃れるみたいに頼みの幹部が次々といなくなる。
最も身近な女房ですら、金持ちでなくなったことを痛罵する。
苦楽をともにした仲である。
今まで有り難う、これからやり直そうと労ってもらえるというのは、甘すぎる考えだった。

お金がなくなり、威厳が失われ、老い、見捨てられ、孤独をかこち、財布には一円もない。
年齢的にもはや挽回不能。失意の晩年へと向かう流れは不可逆だ。
状況を跳ね返し続けたかつての闘争心はどこを探しても見当たらない。

金回りが良かった当時、家族の無駄遣いを野放しにし、ほいほいと自らのお金も周囲に放り投げていた。
いくらでもお金は入ってくるというある種の視野狭窄のもと、熱力学の第二法則さながら、お金は流出を続け、二度と還ってこない。
もし垂れ流しを食い止めいくらかでも蓄えを残してあれば再起もあっただろう。
これではまるで、黒字倒産ならぬ、うたかたの黒字父さんである。

心しなければならない。
諭吉は自分で管理する。
諭吉を他人の手に託すなどもっての他。
末代までご法度の旨達したくなるほど大事なことである。