KORANIKATARU

子らに語る時々日記

路地裏気質

訳あって今日は自宅勤務のため8ヶ月ぶりに二男を芦屋ラグビーの練習に送って行った。
甲子園口から芦屋総合公園までの道のり。
何度目にしても阪神間の街並はいいものである。
休日の少しゆったりした時間帯にひと際よく映える。

最近はほとんどの時間を大阪市内で過ごす。
家には寝に帰ってくるだけだ。
大阪市内の雰囲気にどっぷり目が慣れたせいか、ちと光景が、街の明度まで異なるように感じる。

芦屋川沿いを北上し阿部レディースクリニック手前、芦屋警察で右折する。
日曜朝、どこまでも続く並木の道、静かな緑陰の中を通り西宮へ戻る。

ゆったりと平和で満ち足りたような気分に浸る。
おそらく今日この後、仕事エンジンが全開となることはないだろう。
仕事テンションが減衰して困る人は、日曜朝、ここらには立ち入らない方がいい。

自宅のリビングで一人過ごす。
空調の風向に合わせカーテンが時折何かを思い出したかのように揺れる。
前の公園では地元のボーイスカウトが夏のキャンプ設営の準備と備品点検を行っている。

空は青く、雲は白く分厚く、今日も実に夏らしい一日だ。
おまけに昼食としてうな丼が用意されている。
これでかき氷まで食べれば夏のフルコースではないか。

そして同時に、生まれ育った地域の路地裏を懐かしく思い出すのだった。
クルマ一台通れるかというくらいの狭い路地。
そのような路地裏体験があってこその光と陰である。
ここら地域の雰囲気が普通だと思ってしまうと、それはそれで、認知が偏る。

どちらかと言えば、私自身は路地裏気質だ。
入り組んだような道の片隅にねぐらを構え、ものがすべて手の届く範囲にあり、一歩出れば銭湯も飯屋も赤提灯も揃う、そんな市井に暮らすのが理想である。

阪神間でなければならぬ、それ以外はまかりならぬ、というこだわりが強ければそれはそれで窮屈かもしれない。
生々流転、何があっても不思議ではない。
今は、たまたまこの地域に住み、この先もずっとそうだろうが、もし違ったとしても平気である。
天の巡り合わせ。どこに住むのもよしである。
旅を住処としても構わないくらいだ。

本質的には、この身一つだけが住処のようなものである。
この身があればどこだって住めば都だ。
家財道具は、この身に携えることのできる孫悟空の如意棒みたいなもの一つが内在できていれば、十分だろう。

現代語訳すれば如意棒とはなんだろう、スキルや技能といった能力的なものだろうか。