KORANIKATARU

子らに語る時々日記

生息可能域

公園の北側にクルマを停める。
公園を南へ渡り、子が我が家の玄関へ向かい忘れ物を取りに行く。
そのとき、隣家のシャッターが静かに上がり始める。
宇宙船のデッキがひらくみたいに後光差すなか、巨大漆黒のベンツとBMWが東西両横綱が偉容たっぷり居並ぶみたいに姿を現す。

公園で子供達を遊ばせている若きパパたちの視線が次々釘付けになっていく。
圧倒的な存在感。

ベンツやBMWはどこでだって見かけるが、それが収まるべき箱も相まって、その値打ちがよく理解できる。
場違いなところにあっては、若きパパらは何ら息をのむことはなかっただろう。
コンビニのビニール袋に入っていればどんな高価な貴金属でも、子供のおもちゃ、どこからどう見てもパッチものにしか見えない、というのと同じことである。

視線をさらに横に走らせると、家の一角にロッジ風のベランダしつらえたお家があって、そこで家族が週末午後の団欒を公園を見渡しつつ楽しんでいる。
ワインを開け、肉を焼いている様子だ。

帰宅前、淀川花火へ向かう人混みラッシュに巻き込まれ、長男とともにもみくちゃになってきた。
下町の雰囲気と人混みの印象、ヤンキー丸出しの若者や浴衣なのに塗りたくって何でもかんでもつけまくった様子のメイクのギャル風情からは隔絶した感がある。

私自身は大阪下町の出身だから、21世紀最強と名高い地域の一つである淀川界隈の雰囲気にも馴致できる。
しかし、逆はないのではないか。
芦屋や宝塚、西宮のお嬢さんが、野田や塚本といった血気多い地域で健やか過ごすことは簡単ではないだろう。
深山幽谷に生息する淡水魚が、塩気だけでなく夾雑物せめぎあう濁水のなかを悠々泳げるはずがない。

であれば、稚魚の頃は濁水で鍛え上げ、成魚となって後、どこへなり行くのが最も生存能力が高くなるという仮説を考えたくなる。
汚水もへっちゃら熾烈な生存競争を勝ち抜き、逞しくどこででも元気に過ごすことができるという素養は相当に評価できる能力だ。

生息可能域という切り口も、女性を見る際には不可欠な視点かもしれない。