KORANIKATARU

子らに語る時々日記

使えばなくなる消耗資源

書類作成し気付くと2時前となっていた。
お昼も食べずにずいぶん精を出したものだ。
ぎょうざの満州が今日オープンで、事務所の前に控える。
関西進出第一号店ということだ。
大阪王将京都王将を間近左右に睨むど真ん中の地に陣取っている。

王将に行ったことはないけれど、何であれ初物となれば興味をそそられる。
千円にぎって、ぎょうざの満州野田店に向かった。
しかし、長蛇の列。
あっさり諦め、素通りし、捲土重来を期す。

列が苦手である。
並んでじっと持ち堪えるということができない。
平和で満ち足りた暮らしのなか、選択肢も山ほどあるのに、何も列に並ぶことはないじゃないかと思ってしまう。
それで列を避ける、まかり間違って並んでしまってもすぐに列を離れる。

生存に関わるような差し迫った事態が生じれば渋々並び続けるということもあるかもしれないが、もしかしたら、そんな場合でも並ばないかもしれないというほど行列力を欠いている。
遊園地で3時間並んだなどといった話は、私にとって体操選手の人間離れした美技に比肩するほど驚天動地な偉業である。
サバイバルを賭けての行列などとは生涯無縁でありたい。

行列の周辺にある苦手なものを連想すると、満員電車、混み合った繁華街、学校の授業、義務課せられた研修の時間など浮かんでくる。
「気まま自由に身動きできない受け身的状態を余儀なくされる」ことが不得手なのだ。
忍耐を強いられるのが嫌なだけという幼児的な話である。
情けない。

と小一時間経って様子を見ると、ぎょうざの満州は、がら空きとなっている。
好きな席にゆったり腰かけ、サービスメニューを眺めて注文する。
餃子をゆっくり味わって食べる。
悪くない。
冷凍餃子のお土産買って帰ろう。
子も喜んで食べるはずだ。

さてさて、そこで思う。
列に並ぶ持久力、忍耐力はできるだけ温存しておこう。
消耗資源は使う局面を選ばないといけない。
ここぞという選択眼も養わねばならない。

お金もそうだが、精神的なエネルギーも、運勢も、つまらないことで浪費しては、勿体ない。
使えばなくなる貴重な資源なのだと心得ておこう。
餃子の行列に並んでる場合ではない、ということである。