KORANIKATARU

子らに語る時々日記

うんともすんとも言わないが肝臓を守ることにした

仕事の合間、事務所周辺を走る。
空気がすっかり秋めいている。
秋にまつわる記憶が蘇る。
体育祭やら文化祭。
通りに吹く風、日暮れの商店街。
漠とした寂寥のようなものが心に浮かぶが、雨にけぶって捕らえ所がない。

秋の記憶は東京で一人暮らししていた当時が最も色濃い。
季節の趣に感じ入るといったことより何より先に、ただただ心寂しいといったものだった。
かつて秋は毎年そのようであった。

今朝事務所で宿題していった二男に続き、入れ違い、模試の後で事務所に立ち寄った長男のことが浮かぶ。
三田屋の詰め合わせを贈り物でもらったよという家内からのメッセージがLINEで届く。
家族で身を寄せて暮らしているので、寂しいというあの感覚とはずいぶんと疎遠になったものだ。

昨日、阿倍野の田中内科クリニックでγ-GTについて説明を受けた。
金本のホームラン数には遠く及ばないが一晩でワイン7本空ける酒豪のレベルは越えているという。
田中院長には疲労時のニンニク注射で毎度ピンチを救ってもらっている。
そして、今回は時宜絶妙、ジャストミートでカラダの危機について、たいへんに分かりやすい説明を施してくれたのだった。
最小限の働きかけで、こちらの意志が喚起され、ごく自然に起動した。

以前書いたことでもあるが、結婚してから都合4回、禁酒をしたことがある。

記録を見ると半年禁酒が2回、一年禁酒が2回ある。

結婚当初だったか、金木犀香る秋の芦屋を歩いていて、お酒なんて浮かれて飲んでる場合ではない、このままではこのままだと思い立ち、その日から禁酒した。
10月半ばから翌年の暮れまでやめた。
次は今の所に居を構えたとき。
7月から翌年のお盆までお酒をやめた。
その他子供が産まれたときにそれぞれ半年禁酒した。
事に際し身を慎み、落ち着いた頃合い、体よく訪れたイベントでもういいだろうと解禁する。

学生時代から飲み始めたお酒だが、飲まない方が不自然というくらい生活に根付き、一日を労う際に不可欠な構成要素とさえ言えるほどだ。
40を過ぎ酒量は格段に減ったが、一生懸命仕事して解放されれば飲んで寝る、そのリズムは不変であった。

しかし、カラダに異変を来たす恐れがある域まで来てしまったとなれば、話は早い。
仲間との団欒にお酒を欠いては興ざめだなどと、迷う余地すらない。
いずれ仕事に区切りつけ、世界を巡る旅に出る楽しみをとってある。
お酒でカラダを壊している場合ではない。
無期限でお酒に背を向け、静かゆっくり流れる夜の時間に浸るのも、それはそれで味わい深く幸多いものだろう。
金本がバットを置くように、私は静かにジョッキを置くのである。ワイングラスもお猪口も全部全部。

そして色々な符号にまた不思議な思いが込み上がる。
物心ついて以降、私の人生は8年周期で大きな変化を迎える。

今年は新しい周期の1年目に当たる。
お盆明け、突如思い立ち習慣となった事務所から自宅までのパワーウォーク。
続いて、示し合わせたように提案され早速導入した朝食抜き生活。
そして、しんがりは、田中院長によって為されたγ-GTの潮時宣告。

新たな新周期は、凄まじいほどに地味一色な堅物の暮らしとなる気配である。
もともとタバコにも賭事にも色恋情事とも無縁である。
これで酒も飲まないのであるから、寡黙木訥で更にますます面白くとも何ともない木偶の坊が完成度を高めることになる。