KORANIKATARU

子らに語る時々日記

黄金に縁取られるホットヨガの熱き思い出

季節の変わり目、服のチョイスを誤ると寒さに震えることになる。
昨晩、事務所からの帰途、Tシャツで自宅に向かった。
外に出た瞬間冷やりとしたけれど、なるようになるさとそのまま歩き始めてしまった。

秋の夜風はあなどれない。
腕は一面、粒立つ鳥肌に覆われ、煙突から煙出るみたいに頭からどんどん熱が奪われる。
すっかり日は暮れ、寒さ暗さに前途閉ざされ、この世の果ての寂寥に柔肌が剥き出し晒される。

途中、御幣島付近に地下道がある。
そこにもぐると、モワモワと生温い空気に包まれる。
少し臭いがあるが、暖かければ何でもいい。
思う存分、臭気含む暖かみに、芯までまみれる。

しかし、すぐにお別れだ。
再び冷気吹きすさぶ真っ暗な地上。
長袖のシャツを買うと決めるがあいにくユニクロは見当たらない。

寒さ、これはもうたまらない。
家族で北海道を旅行した際に読んだタコ部屋労働の話を思い出す。
斡旋業者に半ばだまされ、凍てつく北の未開の地で重労働を強いられる。
逃げて捕まれば文字通り吊るし上げられ、凄惨なリンチを加えられる。
北海道だけではない。
シベリヤ抑留や北朝鮮に送られての強制労働では何万とも言われる無数の命が失われた。

寒さひもじさと無縁の、ぬくぬくとした日々は何と恵まれたことなのだろう。
心頭を滅却すれば火もまた涼し、たかがこれしき何でもない。

梅田のホットヨガスタジオに通った日々のことを想起する。
家内に薦められたことがきっかけで数ヶ月通った。
スチームサウナの効いた部屋で、お姉さんらに囲まれながら、足上げ、のけぞり、いろんな姿勢で静止する。
体中から汗がとめどなく滴る。
こんな気持ちいい経験はついぞない。

レッスンの後、いくらでもビールを飲み続けることができる。
ご飯も美味い。
結局、当初の目的とは正反対、熱気かいくぐった身体はカラカラのスポンジのように養分を余すことなく吸収し、息するだけで、身になり肉になり、体重は増加の一途をたどり、通風発作のオマケまでついた。

ホットヨガに思考を集中すると、不思議なことに身体が温もってきた。
尼崎中央商店街が眼の前に迫る。
路上よりアーケードの方が暖かいが、9時もまわると怪しい客引きが目立つ。
もう寒くはない。
すんなり屋外路上を突き進む。

43歳と言えば、走攻守揃った生命力の絶頂期であるはずだ。
一門の棟梁として、何十人率いていてもおかしくない。
敵方まみえドンパチやってる歳である。
それが、寒い、などバカ言ってるんじゃないよ、である。
ヘタレな戯れ言こぼすなんて、布団にお漏らし世界地図チビるより格好が悪い。
どれだけ寒くても、暑いと舌打ちして1枚脱ぐくらいの気迫が必要だ。

気力湧かない、眠れない、上司がこわい、お腹痛い、いまや「おぼったま」国家となった日本にあって、ギラギラざらついたやんちゃくれ風情を復古しなければならない。
美しい国やら、凛とした国日本なんて気取ってる場合ではない。
おぼったまからやんちゃくれへ。
国是はそれくらい直截な表現でいいではないか。

男なのだから泣き言吐露している場合ではないし、例えそうであったとしてもうっかり弱音吐いて「おぼったま」育ちであることを見透かされてもならない。
金と力は無かりけりと揶揄される色男よりは少しマシかもしれないが、おぼったまも、これは相当、なめられ軽んじられる。
誰かが何とかしてくれる、オンブにダッコな匂い漂わす男が一目置かれる訳がないのである。

そして、何だって経験しておくことである。
記憶から消え去ってしまったかに思われたホットヨガですら役に立った。
この世に無駄な経験はない。
すべてが糧になる。