KORANIKATARU

子らに語る時々日記

あれは人生最大のピンチだったかもしれない

我が家のボスは私を痩せさせまいとしているのだろうか。
昼に揚げたての豚カツだけでなく夢屋の新作パンであるオリーブアンチョビまで差し入れに持ってきてくれた。
おいしいパン屋は数あれど、夢屋といえば阪神間の強豪にさえ全くひけをとらない大阪市は西淀川野里交差点近くの商店街にある、知る人ぞ知るつまり知る人しか知らない名店である。

ノーベル賞取った山中教授が絶対的なボスは奥さんであるとテレビで述べていたが、なんという偶然だろう、我が家も同じである。
しかしボスに対しては従順な下僕たる私であるが、銭湯の脱衣所などでは何か勘違いされるのか最上級の丁寧語で気を使っていただける。
ノーベル賞に比べて自慢のレベルが低すぎるが、それしかないのだから仕方ない。

そしてノーベル賞と言えば、まもなく今夜8時に文学賞の発表がある。
村上春樹が最有力候補にあがっている。
小説はほとんど読まない、というより自営業者となって以来、全く読む時間がないのだが、ある一時期、村上春樹だけをじっとうずくまるように読んだことがあった。

ちょうど世間が一年の労を労い、晴れ晴れ新年の幕開けに向かうという年末年始の時期であった。
今年も無事に終わったと胸撫で下ろし、くつろいで過ごすはずだった。
そんな折りも折り、些細なことがきっかけで、顧客が重大な行政処分を喰らうかどうかという、差し迫った危機に直面したのであった。

駆け出しの頃でもあった。
今以上に、顧客にぴったり寄り添い、一心同体で動くような仕事の仕方をしていた。
顧客の危機は私の危機も同然である。
世間がスローダウンしてゆく年末に、まさに固唾を呑む日々を送ることになった。
連日役所に電話し、動向を伺い、嘆願し、一喜一憂というよりは憂いだけが深まり、おそらくは最悪の結果となるであろうという余韻のまま、役所はご用納めとなった。

大晦日や正月などと浮かれる気分とはほど遠い
年末年始のお気楽な娯楽番組など何か悪い冗談みたいで胸くそが悪くなるだけだし、華やいだ何もかもがウソ臭い絵空事にしか見えない。
尻切れトンボで処刑中断されたような悲痛なインターバルを過ごす息苦しさは筆舌に尽し難い。

考えても仕方ないのは重々承知しつつも、そのことばかりが際限なく頭を巡る。
見過ごしても誰も困りはしないようなことであり、本当に些細なことがきっかけだったのだ。
しかし役所の若者は、疑義見〜つけた、と業者に迫ってきたのであった。
取りに足りないと注意で済む話である一方、解釈や意味付けによっては、はっきりと法に触れつまり悪事として不利益処分を余儀なくされる。
業者にとっては、その処分はつまり死ね、従業員、家族もろとも皆で死ねというに等しい。
そのリアリティが、役所の若い職員には全く分からないようであった。
彼には役所における立場と、決まりは決まりなので仕方ないという論理しかないのであった。

何かのかどで逮捕されたり処罰される側が、必ずしも悪党と決めつけられる訳ではないと知った。
悪事となる境界線があったとして、悪気あってそこをかいくぐろうとしたのではなく、ネオンがランダムにパッパパッパ明滅するように、気付いたらその境界すれすれに登場してしまったという不可抗力とも言うべき人知越える要素があるのである。
以前「危機管理心得」で書いたように、不条理な世だ。
いつだって油断ならないのである。

精神的な不安定さで息も絶え絶えであった真っ只中、本当に偶々本屋で思い立ち、村上春樹の小説を買い込み、傍らに積み上げ、ただただじっと読みふけった。
千々に乱れてどうしようもなかった心がすうっと静かになった。
ロキソニンが頭痛を和らげるみたいに、ふんわりと何かが中和されるような鎮痛作用が村上春樹の小説に存するのであった。

後にも先にも、忙しい仕事の日々において、小説をじっくり読んだのはその時期だけであったが、小説の持つ効用が非常によく理解できたし敬意の念も覚えた。

そして、瞬く間に年始の日々が過ぎ、子らと電車で今宮戎に向かったときであった。
今宮神社を目指し参道を歩いていた。
電話がかかってきた。
震えるように気持ちが張り詰める。
地獄行きの報せなのだろうか。

担当者である若者のやけに淡々とした言い様が忘れられない。
「いろいろ検討した結果、今回は課長の意見もあって処分見送りという判断をしました」。

えべっさんどころか、ハローウィンのカボチャみたいに相好を崩した、エへラ顔になっていただろう。
肩の重しがすーとなくなる、あの心地いい脱力感を思い出すと今でも涙ぐみそうになる。

翌日目覚めてこれまた偶々テレビで西宮戎の福男の中継を観た。
福男争う男衆の疾走ぶりが爽快でやっとシャバに戻れたと実感した。
もしあのとき顧客が行政処分を免れなかったら私は今のような順風に恵まれなかったかもしれない。

処分されるかもしれないという痛ましい立場の側に立つのはもう懲り懲りだ。
朗らか笑って過ごせる日々に勝るものはない。
もし隘路に落ちたとしたら。
その時には仕方ない、いい小説を読むしかないないだろう。