KORANIKATARU

子らに語る時々日記

土佐堀通りで見たレクサスのレディ

生温いような朝方の空気が寒冷前線の通過で一気に吹き上げられ、どしゃ降りの雨の中冷え込みの度が増して行く。
シャツ一枚では何とも心もとない。
本当なら今日は終日事務所にこもって仕事するはずだった。
顧客先にあった百均の朱肉で捺印した書類が全てNGになり、顧客訪問&役所提出という、来た道を辿り直すと言う二度手間を余儀なくされ、そして、おまけに雨と寒気にも祟られることになったのであった。
さらに、月末の押し迫った時間が削り取られ、スケジュールのやり繰りはどこまでもタイトで、ええいままよと開き直っても虚しさがぬぐえない。

この先二度と、客先の百均の朱肉に手を染めることはない。
自前の捺印セットを携行するのだと、ぬれそぼり唇震わせながら強く決意した。
この場を借り、棺桶にも必ず朱肉を入れるよう言い残しておく。
ついでだが、眼鏡も忘れてはならない。
眼鏡がなく何が何だか分からない状態となるくらいなら死んだ方がましである。

用事を済ませ、クルマに戻ってコーヒーをすする。
このために生きてきたのだという憩いの一時に心身をひたす。
すぐに戻って書類と格闘せねばならない。
切羽詰まった方が生産性は上がるが、それも限度がある。
平素から目一杯の生産性で飛ばしている。
その分、少しけつまづくだけでもぶっ飛ぶ具合が半端でない。

雨降り続く中、土佐堀通りを進む。
いつもより混んでいる。
信号待ちしていると、前方左側の土佐堀ランプを出た黒のレクサスが、私が進む車線を越え右折しようとするのが見える。
しかし右折路は渋滞でスムーズに合流できない。
待ちの状態が生じ、レクサスは前方で立ち往生し車線を塞ぐ格好となる。

そこで信号が変わった。
私の前の白いバンが、そのレクサスの側面にぐっと肉迫し、そしてクラクションを鳴らす。
打楽器を激しく連打するようにけたたましく鳴らすものだから、激しい雨と相俟って、不快指数が限界ぎりぎりまで上り詰めていく。
こちらの頭にまで血が上ってくる。

しかし、黒のレクサスに乗るレディは、全く慌てる様子がない。
カリブのラッパーみたいに激しくクラクション打ち鳴らすドライバーに一瞥もくれない。
やがて、のっぴきならない様子を察知したのか、対向車線を進む一台がブレーキ踏み、レクサスを入れてあげる。

車線を移るその一瞬、レディは前方を見据えたまま手を挙げ、バンに会釈した。
最低限のマナーを遵守しつつ、品のないドライバーを最後まで優雅に無視し続けた。
実に落ち着いた対応であり、たいへん参考になる作法だ。

通常のおばさんなら、慌てふためきびっくらこいて、ひしめく車列にどたばた突っ込み惨憺たる玉突き事故でも引き起こしかねない。
もしくは、大阪の地、血の気の多いお方であれば、サイドブレーキ引いて道を塞いだままバンに駆け寄る。
ドアをこじ開けドライバーを引き摺り出し、雨の中どつきまわす。
へたり込んだところでクルマに戻り、その上をアイロンがけするようにクルマで行きつ戻りつする。
もし迫撃砲でも持っていれば、つべこべ言わず、運転席をぶっ飛ばしていたかもしれない。

その黒のレクサスの女性は、心得ていた。
バンがバンバン鳴らそうが、状況はすぐに変わる。
じたばたしても気を揉んでも仕方がない。
バンのドライバーなど眼中にない。
勘定に入れる値打ちもないと見極めている。
感心するほど落ち着き払っていた。

そう、そのレディに見習おう。
バンの運転手をバズーカーで吹き飛ばすまでもなく、既にその男の頭は吹っ飛んでいるようなものなのである。
脳みそぶっ飛んだ相手に挑むのは、ゾンビに立ち向かうようなものであり、死者を相手に勝ったも負けたもなく不毛なだけであり、悪くすればこちらがお陀仏ゾンビの仲間入りとなってしまう。

そもそもの目的は車線を1つまたぎ右折すること。
ゾンビが騒ごうが喚こうが、気を取られるなど愚の骨頂。
あくまでこちらのペースで、ごきげんよう。

目も合わせず、会釈する。
先日書いた排除の三段活用「無視」「駆除」「粉砕」(参照「庭の手入れするように」)のうち、序の段「無視」の技法を身に付ける上で汲むべき要素が多々ある貴重な事例と言えるだろう。

百均の朱肉の招きによって目にすることができたシーンである。
考えれば貴重な教訓と学びを得た。
目を見開いていれば、収支はいつだってプラスなのだ。