金曜の夜、ついウトウトしハッと気付くと長男を迎えに行かねばならない時間になっている。
仕事漬けで間髪の猶予もない状態が続いている。
ぐっすり眠る時間もない。
さしもの私も少し疲れている。
今の仕事は天職でありやり甲斐と充実感に満ちてはいるものの、肉体は生モノ、度が過ぎればどうあってもグッタリくるものだ。
クルマを飛ばし寝ぼけ眼のまま、教室前に立ち長男を待つ。
夜11時、巷の良い子はぐっすり眠っている時間である。
受験まで後80日と僅かを残すのみ。
夜の特訓ということで、ガッツ溢れる受験生は深夜の時間までも勉強に費やし、保護者はそのお迎えで門前に並ぶ。
疲れていたのか見慣れた光景が奇異に映る。
周囲を見渡しつつ、何と言うのか滑稽な印象を持ってしまう。
自らも含め真顔しかめっ面で的外れなことを総力結集してやっているといった可笑しみのような感が込み上がる。
ここで訓練された数々の能力たちは、間違いなく将来の精鋭たちであろう。
しかし、揃いも揃って、同じようなことをとことん追求しても仕方ないのではないだろうか。
夜9時までやれば十分であって、その後はめいめい自由に過ごす方がバラエティに富んだ才能が開花するのではないか。
ある程度までで十分なことを際限なく続ければ続けるほど、あにはからんや、子供達がどんどん小粒化してゆくのではないか。
数々の疑問が渦巻く。
例えば、5回やれば最大効率で80%吸収できることを、その先吸収率は鈍化するのに、倍の時間かけ10回やって85%の吸収率にしたからといって、その道の達人として生きるのでないなら不毛なことである。
2,3回程度しかやらないといった努力回避はもってのほかだが、その身にそぐう「ほどほど加減」を見極めることは重要なことだろう。
1回やって100%というずば抜けた天才もいるだろうが、そういった世界では適うわけがないので、天才にお任せして、他のことをした方がいい。
そして、「ほどほど加減」の結果に見合う学校を探せばいいのである。
そもそも、人よりいい点数をとれるようになれ、といったことを目的としてその塾にやったのではない。
どこからでも学びをスタートさせることができ根気強くハードワークできる、そのような自学自習の力を涵養する、それが狙いである。
あくまで固有の資産として内在化される能力であり、それ自体で競い合い、勝った負けたと俎上に乗せるような代物ではない。
そりゃ、世間に出れば生存競争に晒されるが、その勝負は勉強の出来具合によって決するのではなく、もっと深いところにある態度や見識といった要素がものを言う。
そうそう、もっと深いところにあるものをいくつも掘り当てないといけないのである。
面接などで5分喋った程度では伝わらない、端的な言葉ではとても言い表すことができない何かである。
エピソードを積み上げてようやくなにがしか捉えられるようなもの。
大事なポイントはずいぶん深いところにあると見当つけておいた方がいい。
勉強はそれを探り当てるための重要なツールとなるだろう。
自分のなかの固有の力を発掘し育てることができれば、これはもう堂々とした男になれる。
金を積まれても微動だにしない、有象無象に付和雷同したり媚びへつらう必要もなくなる。
人に頼みとされ、必要とされ、喜ばれる。
眼前の世界に並び立つほど広大で豊かな世界を内面に有し、力まずとも自然に堂々とできるということは、これこそ小粒の対極であり、何はなくとも、君たちにはそのような男になってもらいたい。