KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ヤン坊マー坊

ヤン坊マー坊の話である。
結婚する前、家内は受付業務に携わり折々お客さんにヤン坊マー坊人形を進呈する側であった。
それが結婚して間もなく、我が家にまずはリアルなヤン坊が届き、一年の間があってマー坊が届いた。

運び手はコウノトリではなかった。
不在票が何度か入っていたが確かクロネコヤマトかペリカン便であった。
佐川急便ではなかったと思う。

ヤン坊そしてマー坊の到来以来、家内はその世話にてんやわんやで全精力を吸い取られ、しかしそれでも足らず残滓も全て献上しなければならないという奮闘ぶりを余儀なくされた。
そして今も引き続きそうである。

あれから幾年月、小さな頃はまさにヤン坊マー坊のごとく野原を駆け回っていただけのわんぱく坊主であったが、いまや夜には紅茶や日本茶をたしなみ、その銘柄や陶磁器について寸評加え、かたわらにはこども新聞広げ世相を切るといった、いっぱしの知識人風情をかもすまでになってきた。
そこらでスポーツ新聞やエロ新聞だけ読むおじさんの知識量をすでに凌駕しつつあるのではないだろうか。

頼もしさを増すヤン坊マー坊の姿に細い目をさらに細めるばかりである。

私自身、知識高邁な方々とまみえその話の広がりや奥行きに日々感心してばかりの日々である。
私など何と未熟なことだろう。

付け焼刃の浅い知識しかなく、日頃の考察も欠いているので見識に深みもなく、致命的なほどものを知らないから要所要所で話が豊かに広がらない。
人間としての濃密さが欠如していて体重は重いが言葉が軽くて薄い。

ひるがえって、もしかしたら我が家のヤン坊マー坊はこのままいけば世界どこへ行ってもいい会話ができる魅力たっぷりの大人になるのではないか。
そんな敬意にも似た念が込み上がる。

だてに、プールもラグビーも虫取りも山歩きも読書も勉強も虎キチもとことんこなしてきたわけではなかった。
冗談半分ではなく全部本気で取り組んできたから中身が濃厚だ。
家内の影響もあって、食にまつわる知見も相当な分厚さだ。
何しろ普段食べているものが違う。
丹精込められた手作りの料理やこだわりの料理ばかりである。

少なくとも俗悪趣味な安っぽい言辞弄する大人にはならないだろう。
存在の耐えられない軽さ、底の浅さを平気で晒す輩の何と多いことか。
あれらは頭痛感じるほどにみっともない。
ペラペラよく喋る奴や下らない事を多弁する奴というのは、それが職業でない限り、どうしようもないろくでなしであると思って間違いない。
中身をなす思想がないのである。
つまり、思いがない、言い換えればスリップしまくりの空っぽな奴ということだ。

しかし無口であればOKかといえばそうではない。
私が何度も思い浮かべる光景がある。
まだ小さかった頃、近所の商店街の入口にうどん屋がオープンした。
祖母に連れられ食べたきつねうどんのまずかったことといったらなかった。
だしの灰汁が強過ぎて、30年以上絶ってもその奇妙に粘り着くようなコクを覚えている。

商店街の入口と言えば、これでもかと人がうようよ通る場所である。
そこそこの味があれば、黙っていても客が入るはずなのに、全く人が寄り付かない。
その流行らなさ具合を子供目線で心配しつつ横目で見ていた。
いつ見ても客が入っていない。

しまいにはおじさんは店の奥で臥せって寝ているまでになった。
その姿が通りから見える。
もう終わりである。

子供時分は、そのおじさんが気の毒であった。
だれか手を差し伸べてあげればいいのにと思ったものだった。
そして、全くの他人である子供のわたしにとって、人が行き着く果ての気の毒な光景として傷のように胸に焼き付いてしまった。

同じ絵でも長じれば印象が変わるように、今では違った感想を持つ。
おじさんには必死さが足りなかった。
おじさんにはチャンスがあった。
店もあり人の往来もある。
味はひどかったが、それは改良可能だ。
いくらだって試みることができたはずだ。
その度に張り紙したり通りで呼びかけたり何でもできたはずなのに、おじさんは何もせず結局は業務中に不貞寝するまでになった。

おじさんには難局を切り抜けるための、困難を乗り越えるための思想がなかったし、それを紡ぐための言葉も経験もなかった。
愚直さを束ねて真っ向勝負するという生命力も気概もなかった。
こんな話をすれば事件物を読みあさる君たちは、そのおじさんにはきっと商店街の誰かをマークしていてうどん屋は仮の姿だったに違いないと意見差し挟むかもしれない。
多分それはないだろう。
おじさんはうどん屋になろうとして、そしてあっさりどこかであきらめてしまったのだ。

空疎にペラペラ喋る人も不貞寝して横になる人も空っぽという点では似た者同士である。
思いがあれば無駄口などたたかないし、横になどなってられない。
大事なことを喋れば喋るほど思いが抜けて行くし、業務中に横になればなるほど思いは遠のく。

間違ってはならないが他者と交流を深めるコミュニケーションとペラペラ喋ることは似て非なるものである。
英気養うためまたは着想を得るためぐっすり眠るのと業務中に不貞寝するのは正反対のことである。

ヤン坊のときもマー坊のときも上六のバルナバ病院まで夜に迎えに行って明け方にようやく出会えた。
それぞれ12年前と10年前。
この先も引き続き、二人がどのような思いを育てどんな男っぷりを見せるのか、親として静かに見守っていくだけである。

ママにとっては感無量という場面がこの先たっぷり用意されているのだろう。
なにしろ全部吸い取られてヘトヘトのようだ。
恩返しが必要だろう。

私は既に君たちからたくさん貰い受けている。
クジラ対シャチを観ながら、マー坊がママに内緒でこっそりくれたポッキーの味は忘れられない。
ヤン坊は食べ物はくれたことがないが小さな手で肩揉んでくれたことは覚えているし、ダンスする姿はくっきり目に焼き付いている。