KORANIKATARU

子らに語る時々日記

御用納めの朝に書いたある中年男子の日記

やっと御用納めの日が到来した。
忙しさが極まる、と言葉で書けば簡単であるがここ数年の過酷さはもうこれは何と言うのか御用納めまで終わらないマラソンを遮二無二走り続けるようなもので、これはかなり苦しい。

毎年もう懲り懲りだと思うのだが、喉元過ぎれば何とやらで、その後の解放感、どう例えればいいか、ミッションインポッシブルで任務完了後のイーサンハントがロンドンのカフェで相棒とくつろいで話し、そのバックにクランベリーズのドリームスが奏でられ、まるで祝福されるかのような晴れがましさが画面にあふれる、といったくらいの盛大な爽快感であり性懲りもなく同じことを繰り返すことになる。

いよいよ今日で地獄巡りのハードさが一旦終わる。
それで心浮き立ち朝の3時には目が覚めた。

布団を蹴り上げるように起きる。
威厳風格に満ちたある老経営者の方から、あと寿命は千日、一日一日を大満足に過ごすためまずは布団を勢い良く蹴り上げて朝のスタートを切る、というお話を伺って以来、私もそのように心掛けている。

もちろん実際にやるとなると家族を蹴ってしまうかもしれず、また埃が立つと女房に怒られるので、あくまで、蹴り上げる「ような」感じで行うことが大事だと重々承知している。

朝の気合いは単なる必要条件であり、それだけで仕事がうまくいくようなものではなく、日々の周到な準備と積み重ねが最も重要なのは言うまでもないけれど、ラスト1mmの勝負、ノギスで誤差測るといった勝負になるならば、気合いの差で、チェッカーフラッグはこちらにはためくことになる。

クルマで事務所に到着。
御用納めだからだろう平素では考えられない交通量であった。
遅いクルマが何台もあって、団子レースのように身を寄せ合って2号線をのろのろ走った。
野田駅近くのガールズバーも夜中なのに盛況のようだ。
明け方まで客を店先まで送るのだろう深夜の路上に嬌声が響く。
酔っぱらいの声はさらによく通る。
お酒でブレーキ外れているのだ。

コーヒーを味わいつつ仕事の支度をしていると友人からメールがくる。
本文がない。
どこかへのリンクが貼られてあるだけだ。
朝の4時に本文のないメール。
ちょっとおかしいと思ったが、何かを告げたいのかもしれない。

それでクリックした。

もうクリックしません。
何かの仕掛けが施してあって、私発信で誰かにメールが行くのだろうか。

本文のないメールなどを送ることはないので、そのようなメールが来ても確認不要、即削除。
実害があるかどうか分からないが、用心に越したことはない。
私がメールする場合、このブログのように内容がなくても必ず本文はある。
本文がなければ、それは私のメールではない。

間もなく出発し各所仕事場を疾走してくる。
今日の仕事を終えれば、今夜は家族で焼肉のエンペラーこと大城園で打ち上げだ。
ここの上塩タン、上ハラミを味わってからでないと肉は語れない。
焼肉亭高橋の済州島マッコリもいいがこちらのもかなりいい。
絶品の冷麺を思い浮かべるとゴクリと喉が鳴る。
一昨日行ったばかりだが、ああ楽しみだ。

地球の公転軌道に年ごとの標識などがあるわけではないが、区切りというのは人の精神に不可欠なものなのだろう。
一呼吸つき、軌跡を振り返り、前途を見据える。
このワンクッションがなければあさっての方角に走り続けたまま永遠の行方不明者になりかねない。

やれやれ。
お疲れ様でした。
やっと、少しゆっくりできる。
もちろん、完全に電源をオフにすることはなく、すでに決まった新年早々の仕事についてもきっちり決め技などイメージ高める営為は欠かせない。
欠かしてしまうともうこの複雑さには対応できなくなってしまう。

油断はしないけれど、ひたひたと迫るこの解放感、その予感がひたすらに愛おしくいま私は辺境の場所でジーンと感極まっているのであった。