KORANIKATARU

子らに語る時々日記

さよなら束の間の年末年始

今年の初笑いは駅のアナウンスであった。
二男と二人、元旦早朝大阪駅のホーム。
どこの路線だろうか快速の停車駅をいつ果てるともなく延々と、それはもう延々と英語で読み上げている。
関西の地名の数々を英語風のイントネーションで聞き続けると、だんだんでき上がってくる。

臨界を超えた。
二人はほふられるように笑いで炸裂し第二波、第三波と連続爆破され、もう木っ端みじんである。
涙がちょちょぎれる。
クネクネした発音で話せば日本語も英語になるのだろうが、そのクネクネ度合い、もう少し抑えてくれないだろうか。

以前、長男とクルマに乗っていて英会話教室のCMが流れたときのことを思い出す。
俳優が犬相手にぺらぺら流暢な英語を駆使するシーンで二人は大爆笑してしまった。
この流暢さに一体何の意味があるのだろう、吹き出してしまうほどに滑稽だ。
こんなものをかっこいいと思うのは相当に変である。
つまり、立派なギャグに違いない。
日本人よ犬相手に目指せ流暢イングリッシュ。
笑わずにはいられない。

元旦は持ち堪えたが年末からの熱が完全にはひかず、二日にはぶり返しとても外出などできず、これ以上こじらせる訳にもいかないので静養することにした。
結婚以来はじめて嫁の実家への挨拶を欠席することになった。

一人事務所で丸まって過ごす。
ある退職者の話が浮かんでくる。
実家への帰省についての話題のなか、自嘲的に彼は話した。
今の世相を物語るかのような内容であり身につまされた。

彼は昨年の秋に転職したいという理由で長く勤めた会社を辞めた。
暮れまでには就職先が決まったが、ちらつかされた額とは異なり給料は大幅に下がることになった。
もとの会社に戻るなど不可能である。
第一もとの会社自体、彼のことを必要としていないし、誰よりも彼がそれを理解している。

不本意な転職のことが原因でこの正月、女房の実家を訪れるのが苦痛だと彼は言う。
義理の両親や女房の兄弟らは転職について何も知らない。
いや、誰かは知っているかもしれない。
転職のことは世間体が悪いので伏せるよう女房にきつく言いつけられているが、知られているのであれば、何をどう振る舞ったところで空々しい。

そもそもが格落ちの相手と見られていた。
向うの家族がする話を女房から聞いたこともあったけれど、ことごとく不快な話ばかりであった。
地味だがちゃんとしたところに勤めているという一点でかろうじて一人前扱いされているようなものだった。

しかしその職を失ってしまった今、もう立つ瀬が何もない。
アウェイの地で値踏みされるような視線に晒され続け、その視線に抗するため、体裁保つためだけに順調である風を装う。
カラスにホーホケキョと鳴けというのか。
こんなに気の重いことはない。
正直に話したところで、女房に話す底の浅い明るい展望のようなものでは、それら兄弟にはとても通じない。
生活できるのかといった質問に言葉が詰まりその場でけちょんけちょんに集中砲火を浴びてしまうだけだろう。
ウソの笑顔でヘラヘラ過ごす以外に選択肢はない。

二日の事務所周辺はコンビニ、ファーストフード、パチンコ屋を除き軒並みお店が休みでほどよい静けさを保っている。
人通りもいつにも増して少ない。
この国では、心暖まるようないい話がどんどん希有なものになっていっているのではないだろうか。
ありとあらゆるところで不幸の総量が増加し、格差が従来の人間関係にくさびを打ち込み、疎遠化が進行する。
その流れに抗い、前を向くだけでもかなりのパワーが必要だ。
矢折れ刀尽き放り出され、孤立していく人間が跡を絶たない。

路上や地下街でへたり込んでいるおじさんなど、これまでさすがに正月にはみかけなかったが、今年はごく普通の地域で何人か見かけた。
正月なのに道端で過ごすのである。
死ねるならいっそ死んだ方がいいと逡巡しつつ、力尽きそこにへたり込んでいるという風にしか見えない。

さっきの話とふと重なる。
もし彼が女房の実家以外に身寄りがなく次のささやかな職さえ失い、もう結構だ用は済んだとその実家を頼ることもできなくなれば、路上でうずくまるまであと数歩である。

次々、そのような立場の者を生み出す背筋凍るような社会へと真っ直ぐ向かっていっているのかもしれない。

正月三が日最終日の今日、長男とカルタ大会ならぬ算数コンペティション父子三本勝負でもやろうと思っていたのだが、親の因果が子に祟って風邪が長男にうつってしまった。
可哀想なことをしてしまった。
予定を変更し、早朝に事務所をクルマで往復し用事するための資料などを家に持ち帰ったはいいが、当たり前のことに気付いた。
家はくつろぐ場、ここでは仕事などできない。
仕事場が私を呼ぶ。
私の帰属先は、福島の事務所だけなのであった。

それでアホみたいにクルマに積んできた荷物を今度は両手にぶら下げ電車で運んで事務所に帰ってきた。
鵜飼いの鵜のことを考える。
獲物を捕らえる度ごと船に引っぱり上げられ再び獲物を探すため水面下に放り込まれる。
鵜の居場所は明らかに船ではなく水面下にある。
鵜は、獲物を船上ではき出すときにググッググッググッと鳴く。
英語っぽい。
その鳴き声が結構楽しんでいる風な、満足気なものであることを彼らを近しく感じる者として切に願いたい。