KORANIKATARU

子らに語る時々日記

序盤から無差別級の日々

担当者から電話がある。
遅れるということだ。
建設会社の置場にクルマを停める。
ほんの微か春の匂いのようなものを感じる陽気である。
エンジンを切り車内で脱力し放心する。

静かである。
自衛隊のヘリが隊列を編成し、右後方から順々に右手前間近に降下してくる。
心ここにあらず、ヘリのプロペラ音が遠い彼方から聞こえるように感じる。

新年第一週序盤からいきなり全速力で滑走するような仕事量となってしまった。
12月が忙しいのであれば、当然に隣接する1月も忙しい。
振り返ればブログには忙しい忙しいとばかり書いている。
最頻出ワードが自らの人生を端的に物語るとすれば、「忙しい」の一語に集約されるのだろうか。
「多忙だったね、お疲れさん」とでも墓碑に刻んでくれ。

お昼なので置場には誰もおらず、出番のないユンボやダンプが暇そうに無人の砂地で陽射しを照り返している。
攻守入れ換えの、凪のような時間。
止まると、憂鬱な気分が生じそうになる。
頭の中で鳴り響くけたたましい仕事の羽音がヘリの音を上回る。

放置すると手がつけられなくなる。
怒りのような感情を意識的に沸き立たせていく。
いい湯加減となったところで、もつれほどくように課題をブレイクダウンしていく。
取るに足りないとまではいかないが、細かく砕けば、何とか渡り合える相手だと理解できる。
これくらいで負ける訳にはいかない。

バトン一振り状況を一変させることなどできるものではない。
何とか負けないよう持ち堪え状況の好転を待つことができるだけだ。
いつだって男子の戦いは地味で単調で無味乾燥なものなのである。

仕事で勝ちを狙えばたいてい足を滑らせる。
着実に守って耐えて凌いで、何とかイーブン0−0、うまくすれば1−0で勝利が転がり込む。
勝ちは転がってくるものであり取りにいくものではない。

だからこの世で最も強い言葉は「負けてたまるか」なのである。
古今東西、男は一人でつぶやくのだ。
こんなことで負けてたまるか。
満身創痍の心身をその呪文で鼓舞し、敗れ去るまで性懲りもなく戦いに臨むのである。

年が明けたのに、田中内科クリニックへも、鷲尾耳鼻咽喉科へも、数え上げれば切りがない、ほとんどどこにもまだ顔を出せていない。
来週は来週で、再来週は再来週で面談や書類没頭作業や出張の予定が詰まり、気がつけば、おお、2月ではないか。
1月はどこへ行ったのだ、時間泥棒に根こそぎ奪われる生活に慣れてしまうとカマトトぶって騒ぐ気もなくなってくる。

このようにしてこの2013年も瞬く間に過ぎ去ってしまうのだ。
この一年を飾る記念碑的な収穫でもあればしめたものだがそんなことは個人の思慮の範疇の外のことであるので強くは期待せずほんのりと予感だけすることにしよう。
何かが変わる、根拠などなくてもそのような予感だけで何とかウキウキ生き延びることができる。

夜中に仕事を始めるという負荷最重量級の日々が続く。
そろそろ明日の支度をして10時には帰り休みたい。
時間の貴重さが骨身に染みる。