KORANIKATARU

子らに語る時々日記

黙って夕陽眺める父子三人衆

三連休初日の土曜日。
少しゆっくりしてもいいはずなのに朝4時に目が覚める。
義弟が、お兄さんこれはいいよと、シジミンを送ってくれて、昨晩飲んだ6粒が効いたのかもしれない。

始発電車で事務所に向かう。
決まって始発で登校する上背ある高校生がいる。
電車に乗った端からテキストを広げ勉強を始める。
朝を制する者が世界を制する。
彼は必ずや我が国有意の存在、周囲から頼りにされる存在として男を上げ続けて行くような人生を歩むに違いない。

愚直なほどの勤勉さは、今は昔アホで浮ついたバブル世代の価値転倒により不細工極まりないものの代名詞と成り果てていた。
しかし一部のしっかり者を除き甘言に弄ばれたバブル世代の大半は結局地位も力も得られない被害者でしかなかったと今や明らかとなった。
どうにも冴えない中年、パッとせず日本男児の主軸となりようのない無様さをもう隠しようがない。
角も牙も失い、それこそ何の芸も影響力もなく、ヘラヘラ愛想のいい木偶の坊として過ごす日々は陽光差す余地もないほど陰々滅々としたものだろう。
もっと早くから自分自身を錬磨するべきであった。
遅まきながら自らの非力を克服しようとジタバタする私の胸を去来する言葉である。

一心に打ち込む男子高校生の姿を横目に海老江で降りる。
駅の商店街はゴミ回収日で、例の通り、無宿者らが店先に出されたゴミ袋のなか残飯を物色している。
何人かは店の軒先で新聞紙敷いて寝入っている。
夜露はしのげても、ただならぬ寒さの明け方である。
慣れれば路上でさえ熟睡できるものなのだろうか。

事務所で少し軽めの用事を済ませてゆく。
この一週間で乱雑の度を増した書類を整理し、送付書類を投函し、見過ごしていたメールの返事を書く。
午前の時間があっという間に過ぎて行く。

商店街に出かけ家内に教えてもらった「豆房」で総菜を買う。
ここは料理が凝っている。
出汁もちゃんとしている。
野菜や豆腐など中年に適した食材がとてもおいしく頂ける。

クリーニングを出し、気づけば後4枚となっていた名刺を判子屋で注文し、薬局でファブリーズとマイペットを買う。

腹ごしらも終え、窓を全開。
拭き掃除をし、掃除機をかける。
とても清々しい気分となる。

一通り用事も終えたのでDVDでも観ようとエドガーを流すがあまりに退屈で、おまけに眼の疲れが一気に噴き出してしまった。
ウィンクのかつてのヒット曲みたいだが、眼のピクピクが止まらない。
鑑賞を断念した。

そうだ、印鑑証明を取っておかないといけなかった。
時間の余裕あるうちに行ってこよう。
運動不足解消も兼ねてアクタ西宮まで歩けばいい。

片道3時間の道のり。
2号線を進んで淀川と武庫川を越え、甲子園口でJRの高架をくぐり、ガーデンズから西宮北口駅アプローチを過ぎて、アクタに到着。
市役所時間外サービスカウンターで印鑑証明書を取得。
もう夕方であたりは暗くなりつつあったし、歩くのにも飽きてきた。
帰りは電車で事務所に戻ることにした。

帰途も野田の商店街豆房で総菜を買う。
近所の風呂にでも入ってから、明日からの仕事の支度を整えよう。

湯船では、かつての級友同士が鉢合わせしたようで近況について報告し合っている。
灘、本田の水、運送、といった言葉が断片的に聞こえてくる。
どうやら、本田の水を灘の酒造会社に運送している仕事、ということのようだ。
ここに我が長男がいれば、灘なら日本一の名水西宮の宮水があるではないか、本田の水って何なのだ、と口を挟むことだろう。
しかし内気なピーチボーイである私は湯につかり聞き耳だけ立てるのであった。

ストレスフリーな一日であった。
四肢を伸ばし、ふんわりと我が身を包む静けさを胸いっぱい吸い込む。

旭川から札幌まで家族乗せて延々運転していたときの一コマを思い出す。
間もなく札幌という地点で右手に巨大な夕陽が見えてきた。
車内で流す音楽がちょうど北の国からのテーマになった。
あまりにも場面にぴったりの曲であり何度もリピートさせる。

見知らぬ大地の夕陽に心を奪われる。
一瞬の驚きのあと、誰も言葉は発しなくなった。
家族皆が息を呑む。
ただただそのシーンに浸るだけとなる。
幸福な静けさに包まれる。

時間は円環し、あの瞬間はまた巡ってくる。
そのひと時を求めて家族を代表して社会という手強い怪物と格闘する日々が続く。
地味で野暮ったい見目形であるけれど、クラーク・ケントのように見えないところで戦っているのである。
電車で顔合わすあの男子高校生なら、しょぼくれてはいるものの私が一人の戦士であるとチラと感づいているかもしれない。
戦う準備に余念がない君たちは父など物の数ではないという程のファイターとなるだろう。
父子三銃士結成の際には荒野で夕陽でも眺めつつ契りの一献酌み交わそう。