KORANIKATARU

子らに語る時々日記

二月になれば、、、

今朝5時15分、トラックに猛追される。
2号線が曽根崎通りと名を変える辺り、ちょうど淀川大橋から野田阪神の交差点に差しかかる付近でパッシングされ続けた。

左右二車線とも前を走るクルマが法定速度で並走している。
左が白い軽トラ、私の前にタクシー。
苛立つように猛追トラックが左を走る軽トラをパッシングし、続いて右に車体寄せ私のクルマに鼻先近づけてくる。
前の2台がともに遅いので、すり抜ける間隙がない。

なんて物騒な運転なのだ。
もし前を行くタクシーの前に小猫ちゃんでも飛び出して急ブレーキ踏まれたら、私はタクシーに衝突し、そしてトラックに潰されひしゃげることになる。
2月1日、忙しさが少し落ち着きやっと人間らしく過ごせると思った矢先、トラックに潰されるなんて。
暗然とする。

こんなに行儀の悪い、いや、そんな言葉では生易し過ぎる、死を招くような危険運転するクルマは、大阪ではまれに出くわすことはあっても、昨日訪れた山口県では目にしたことがない。
山口市内と防府市内など何度も運転しているが、譲り合いの余裕を持ち合わせた方の割合が大阪より多いに違いない、毎回とてもリラックスして運転できる。

淀川大橋を越え、やっと軽トラがスピードを上げスペースができる。
猛追トラックが私の左横に迫る。
有名なスーパーの名が大きく横書きしてある。
関西屈指のスーパーではないか。

ドライバーは急いでいるのか、もしかしたら、文字通り、「いかっているよ、超!」という状態なのだろうか。
たちまちのうち、のろのろ法定速度の一団を追い越し、巨獣がドリブルするみたいに、左右に車体を振りながらはるか前方に消えて行った。

思えば、この12月、1月はあのトラックのような勢いで私も過ごしていた。
疲労からかしばしば生じた頭痛をロキソニンで鎮め、いよいよとなれば、家内もその実力を認める施術者のいるマッサージ屋で急遽カラダを揉んでもらったりして、何とか仕事し続ける態勢を整え続けた。
思考が行き詰まって朦朧としてきた際には小雪舞う通りを健さんがするみたいにコートの襟を立て寡黙に歩き、仕事の段取りを一から整理し直した。
つい先日のことだが何だかとても懐かしい。

きつい日々だが辛くはない。
誰かに指図されたりこき使われている訳ではない。
自分でマネジメントして毎日の課題をコツコツと克服していく。
学びの連続であり、一日の終わりは充実感に満ちる。
どちらかと言うと、結構楽しい部類かもしれない。

2月は少し暇になる予定であった。
しかし、ある日に予定が入り、また別の日に予定が入り、オセロが裏返るように両日に挟まれた日も一気に仕事一色の黒に様変わりしてゆく。
いつのまにか2月も間断なく日々が黒く黒く染まっていってしまった。
長男の受験が終われば旅行しようなど与太吹いていたけれど、墨汁で塗り潰されていく毎日に白地が勢力保ってきらりはためく余地はどこにもない。

昨日の山口出張でなんとか激務の1月を締め括ることができた。
一区切りついた。
防府市で仕事を無事に終え、まっすぐ湯田の「温泉の森」へ向かった。
昨年の夏にも訪れているので今回が二度目となる。

お目当ては、ぬるめの温泉に浸かりながらのジャグジーと玉石踏み。
ジャグジーの強度と位置が私のツボと絶妙な具合にマッチしている。
玉石踏みは声漏れるほどに痛いけれど、この痛さがやめられないほど心地よく、徐々に徐々に痛みはなくなり、それにつれ疲労が抜けてゆく。

温泉効果でお肌すべすべ、体ぽかぽか。
生きた心地を回復できる最高の湯場と言える。
来週も立ち寄るつもりだ。

湯から上がって新山口への途上、目と鼻の先にある山口大学へと寄り道した。
暖かな陽気の余韻がまだ残る夕刻、西日のなか自転車で帰宅していく地味な学生達を目にすると、気持ちがほぐれる。
頑張れ君たち、と一人つぶやく。

大学生となったばかりの春の空気を思い出す。
新大久保にあった理工学部のキャンパスやカフェテリア、時間潰しに使った戸山公園。
友人らの若き青春時代の面影がいくつも思い浮かぶ。
優秀な連中ばかりであった。

学科の労務管理の実習として、被験者となって知能指数テストや性格テストを受けたことがあった。
皆が皆、頭がいいと言われ育ってきただけでなく、自分でも多少そう思っている連中である。
知能指数テストは緊張感伴う真剣勝負だった。

IQ140を越えると出現率が1000人中6人。
IQ125越えで100人中6人。
ここまでが優秀と言われるラインであるが、誰も彼も当然のように軽くクリアしている。
中には一人ずば抜けて悪い結果で118という仲間もいたが、そんなに悪い数字ではないじゃないかと皆に励まされ、べべであるという残酷な現実を知ることになりE君はさらに落ち込むこととなった。

頭のいい奴なんてゴロゴロいるのである。
そこら中に転がっている。
1000人中トップ6人に入る頭といったところで、そんなものスポーツの世界なら、それがどうしたといったものでしかなく何の自慢にもならない。
珍しくとも何ともない。

知能指数といって身構えたところで、悪いよりはいい方が好ましいのではあろうが、それ自体が何か決定的な意味を持つ訳ではない。
ちょっとばかし性能がいいよという但書程度のものである。
人的な中身や、能力を発揮し磨く環境や役割に恵まれなければ、添え物としての機能も果たさない。
頭のいい人間ばかりの会社であっても、時代の隘路にはまれば、為す術なく立ち往生してしまう。
つまり、奇跡の御業起こすような、大層なものではないということだ。

何度も繰り返し言ってきたことだが、本質的なことは、数値に置き換え難い未分化な総体に存する。
その証拠に、大人になればあいつは偏差値いくらだとか、知能指数いくらだとか、そんなことで語られることはない。
もし大の大人になってまでそんな切り口でしか語られないとしたら寂しいことである。

ちょうど受験を終えたので強調しておかねばならない。
いくらお勉強ができたとしても、人としてのマナーや他者へのデリカシーを欠いたり、何かに意欲をもってコミットしないのであれば、お勉強など自己満足の慰みもの以外の何ものでもない。

自分で考えて価値評価するのではなく、先生や親の言うことを鵜呑みにしたり、操り人形みたいであれば、そのお勉強は、これは丁度いいと重宝がられ利用されるお役立ちグッズみたいなものに留まる。

あいつがいると安心、あいつなら何とかしてくれる、あいつは頼りになる、あいつのことを考えると顔がほころんじゃうよ、世の中には、このように信頼と尊敬と愛着を集める人物が存在する。

男前だとか頭がいいとか、そんなことは二の次三の次で、研鑽され続ける能力に基礎づけられ、実戦でその力を証し続けていくといった、総体としての人柄が大事なのではないだろうか。
このような人物がどんどん増えれば社会はとてもいい感じになりそうではないか。

知能指数や偏差値など、数字は解りやすいが、それは単に事柄の一面を表すだけなのである。
それなのに、我々は何と数字に従順なのだろう。
表す意味以上の何かをそこに読み取ってしまうのだ。
だから数字は人をだますためにも使われる。

インド人がゼロの概念を発想したのは偉大であった。
無を表す数値という意味より、非数字という意味において含みが深い。
数字に盲従するのではなく、その背後や周辺で数字の光があたらずゼロのまま留まっている何かに気付く。
君たちがそんな炯眼の人物になれますように。

新山口でレンタカーを返し、駅前の回転寿司たかくらに向かう。
おすすめどころを平らげ、家族への土産を握ってもらい、駅では白銀を買込み、さらにふぐ寿司を土産に買う。
喜ぶ顔を想像すると何でも買いたくなってしまうのだ。

新幹線に乗り込む。
後は、まっすぐお家へ帰るだけである。
今度家族を山口へ連れてこよう。
車中の人となりうつらうつら旅程を思い描く。