KORANIKATARU

子らに語る時々日記

いい流れを絶やさすぬように

四ツ谷駅では橋梁下のホームから階段を上がって目線が高くなるごとに空一面の青が徐々に視界に広がり何とも晴れやかな気分となる。
大阪だと阿倍野ルシアスのエスカレータを上がって地上に出るときに類似するような開放的な視界の変化を感じる。

そのまま信号を渡って左に折れればほどなく田中内科クリニックだ。
会食に備えニンニク注射を受けにきた。
これさえあれば飲んでも翌朝5時には清々しく目覚めることができる。
肝臓の疲労だけでなく全身の疲れも癒える。

清涼な注射によって力募る心地よさに浸りつつ、次の患者さんが待っているので長居は無用。
院長、毎度おおきに。
続いて向かうは寺田町だ。

会食で寺田町に来るのは初めてのことである。
ここに会員制のてっちり屋があるという。
居酒屋の客引きの誘いを丁寧に断りつつ路上で待っていると、間もなくお迎えの車がやってきた。

連れられた場所は何の変哲もないやや小ぶりなマンションだ。
6階で降りドア一枚くぐると様子が一変する。
そこは、映画で描かれる1シーンのよう、エキゾチックな装飾がふんだんにしつらえられ、光量も絶妙な按配、瀟洒な異空間であった。

大阪とらふぐの会。
一見さんはお断りであり、会員でないと迎え入れられない。
身を隠すように営業しているようなものである。
気位高い女性のようなイメージが浮かぶ。

金魚のような河豚が巷で跋扈するなか、巨大な河豚が水槽で出番を待つ。

美味な品々を堪能しつつ、二人の若き経営者が眺望するビジネスについて幅広い情報に触れる。
そこにひれ酒のアルコール飛ばす青い炎が時折立ち昇り、趣向に富んだ料理が次々現れる。

興味深い話に刺激を受けつつ、彼らの端正な着こなしにも着目する。
我が身を振り返る。
着る服に関しやや無頓着になり過ぎたかもしれない。

思えば昨年の夏、弁護士の山﨑先生から示唆を得てこれはいいと取り入れた短パンスタイルがそのまま派生し作業場ではジャージを着るという習慣に行き着いた。
来客時を除きそのようなスタイルで過ごすようになった。
書類作成も立派な肉体労働であるから機能面でも申し分ない。

しかし、やはりこれは元に戻そう。
何も事務所作業でスーツ着る必要はないだろうが、ジャージだと極端にブロークン過ぎる。
美意識というには大げさ過ぎるが、せめて「それらしい」格好をしておく矜持は必要だろう。

巨大な虎の屏風を背にする二人を見る。
その構図が肖像のように鮮明に残る。
彼らが今後どこまで巨大に躍進していくのか目が離せない。

眼力があり、慎重さがあり、多面的に情報を得る積極性がある。
間違うリスクは低減し、求めるものがやがて向うからやってくる。

比べるべくもないが、私にも「向うからやってくる」経験について少しくらいは蘊蓄がある。
今の職業、事務所、住まい、はてはコピー機や入り口ドアの目隠しの施工に至るまで、数え上げれば切りがない、懸案としていたことの解決の糸口は必ず向うからやってくる。
もたもたしているかにみえて実は飛ぶ鳥おとすような勢いでそれらは真っ直ぐやってきた、振り返っていつもそのように気付く。

何かそのような循環を差配する仕組みのようなものがあるのだとしか思えない。
いい流れは、巡るべくところをかけ巡るのだろう。

帰宅すると、長男も二男も塾の宿題に勤しんでいる。
両方の質問を受け、的確な説明を施す。

一緒に風呂に入りながら二男が面白いことを語ってくれた。
ママには内緒の話である。

ICOCAを利用するとお金が貯まるということを発見したというのだ。

ママは交通費でICOCAにチャージしてくれる。
額が減れば自動的にチャージしてくれる。
それとは別に、おやつ代としてママは小銭をくれる。

二男は気付いた。
その小銭は使わずICOCAを使えば、コンビニでおやつが買えて、まるまる小銭分を貯蓄できる。
ICOCAで表示される数値でものを買えば、身銭を切られることはない。
二男にとっては、小銭を使うのではなく定期的にチャージされるICOCAを使う方が合理的だ。

二男はこの発見によって知るだろう。
数値だけになった途端、お金はそのリアリティを薄める。
だから手にした現金で払うのと、森閑と音もなく数値として差し引かれるのとでは、全く痛みが異なる。
使わせる側からすればどれだけお金の匂いを消せるかが勝負だ。

使う側からすれば単に数値として記されたお金の希薄さを、いちいち実在のイメージに翻訳し直す心得が不可欠になる。
その習性を身に付け、無定見空費させようとする世の企みから身を守る術を君はいくつも見出していくことだろう。

本質を見通す目力があればいつだって安心だ。
視界は晴れ渡り、きっと君もいい流れに召し抱えられるに違いない。