1
火曜日夕刻、院長先生に明石駅まで送って頂く。
駅舎を横切り、街へ向かう。
仕事後の余白のような時間、まっすぐ帰るのは勿体ない。
涼しい風を受けながら散策し小腹を空かす。
明石と言えば玉子焼だ。
向かうは駅真南にある松竹。
知人に強く薦められたのであった。
ビールと特別玉子焼を注文する。
右側におばあさんがいて、こちらを正面に見る形で座っている。
横目でその食べ方を盗み見る。
目が合う。
険しい視線を感じる。
おばあさんは自分の分を取られるとでも思ったのだろうか。
キレイに並んだ15個の玉子焼が目の前に配される。
左端1列にはソースを塗り、他2列は出汁に捧げる。
小さなテーブルで身を縮めるようにしてひとつひとつゆっくり味わって食べる。
カラダを畳むかのような窮屈さだが、なぜかしっくりくる。
タコが大振りで歯ごたえあって、生地のふっくら加減がその味わいを更に深める。
土曜日にみずきの湯、日曜日は一休、そして月曜日はゴッドハンドだと評判のウー先生の施術を受けた。
元気一杯となるはずであった。
しかしマッサージには相性というのがあって、合わないと癒えるどころか、疲れの滴が奥深くから止めどなくわき出しどうにも悩ましいほどのしんどさが募ってしまう。
玉子焼の素朴なふんわり加減に疲れがほぐれるかのようだ。
締めて1,250円。
おお安いと言うのは、はしたない。
パートさんの時給より高いのであり、そのような金銭感覚を忘れてはならない。
2
先週金曜日に大阪の老人ホームで聞いた話が何度も浮かぶ。
かつてはかくしゃくとしたおじいさんや気品あったおばあさんらが、痴呆の症状でどのような様子となるか様々な事例について聞かされた。
詳細を書く無礼は働かないけれど、ありのままそのようである現実の重さに、胸の詰まるような、眉間に縦じわが寄ったままとなるような厳しい心持ちとならざるを得ず、思い出す度そのように険しい目つきとなってしまう。
40も過ぎればアホみたいに浮かれて過ごすなどますますできない話である。
そのような現実に訪れられたとき、具体的にどうすればいいのかプランはない。
しかし、眼を背けることなく心構えだけはしっかり整えておかねばならないのだろう。
いやはや最期を考えることは何と気の重いことだろうか。
3
帰宅する。
家は留守で、我が家の玉座に我が物顔で陣取る。
ソファに寝ころび、大画面のテレビのチャンネルを回していく。
メジャーリーグからプレミアリーグ、ブラジル対イタリアの国際強化マッチ、ロシアサッカー、映画、ドキュメンタリー、国際ラリー、、、何だってある。
次々とチャンネルを変えていく。
韓流ドラマに一瞬見入る。
一家の主がテーブルの汚れで家政婦を叱りつけているシーンだ。
何事だと誰だって首を突っ込みたくなる、それが韓流ドラマのエッセンスだ。
しかしすぐに飽いて、歌番組、ショッピングチャンネル、アニメ、ニュース、さらに次々とチャンネルを変えていく。
落ち着く先がない。
玉座は案外つまらない。
4
水曜日、タローが学会で大阪に来るというので、北新地で待ち合わせ、久々に五鉄を訪れた。
前回来たのは岡本に誘われたときであったろうか。
運良く6時から3席予約できたがその時間に来ることができるのは私が知る限り章夫だけである。
刺身、おでん、焼き物、そして入麺と続く。
ファンタスティックな料理の数々であり、細かなところまで芸が行き届いている。
普段は粗食でサイゼリヤでも食事するのだというタローも美味い、美味いと喜んだ。
時折タローの携帯が鳴る。
その度に緊張する。
心臓外科医はいつ呼びだされるか分からない。
もし呼ばれれば新快速に飛び乗って緊急オペに向かわねばならない。
気の休まらない仕事ではないか。
もちろんカラダも休まらない。
第一、盆と正月以外に休みがない。
もっと楽な仕事を選べばいいのに。
なんで心臓外科医などになったのだ。
タローは言った。
現代医学で治せない病気はいくつもあるが、心臓ならば治せる。
素人の私に真意を汲める言葉ではない。
しかし、タローの職業観のすべてがそのシンプルな言葉に嘘偽りなく何のかっこつけもなく凝縮されていることは分かった。
かつて我らが星のしるべ33期は、医者になるかそれ以外かという選択肢しかないようなくらいの進路指導を受け、文字通り二者択一で半数近くが医者になった。
今でこそ母校はそのような進路指導はせず医者になると言えば逆に本気なのかマジなのか伊達や酔狂でやれる職業ではないと大人の責務としてひとまずは押し返すようになり当時よりも数は減っているようだが、真摯な気持ちで医師を職業として選ぶ人物が絶えることはなく、職業人となってからその真価をいかんなく発揮する星のしるべ達の例に洩れず範となるような医師として各地各所で活躍し続けている。
タローも間違いなく星のしるべスピリッツを受け継ぐ一人である。
8時過ぎにはお開きにして、タローと電車で帰る。
なにしろともに朝が早い。
何の飾り気もないタローの自然体を見て、職業人が到達すべき境地を再認識させられたように思う。
邪心邪念といった夾雑物から解放された、清々しいほどにシンプルな境地。
取り組むべき仕事がある。
助けを求める声が止むことがない。
何の迷いもなく朽ち果てるまでそこで責務を果たし続ける。
やはり玉座はつまらない。